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醤油ソムリエ 黒島慶子さん

産業をおもしろく残す
醤油ソムリエ 黒島慶子さんの物語り
“表現者”である彼女が、
島の産業を残すために選択した方法ー
それが、醤油ソムリエになることだった

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はじめまして、ケリーです

~意外な案内人~

よく晴れた週末。

急に休みが取れたため、香川県の小豆島を訪ねた。

何の予定も決めていない、気ままなひとり旅。

穏やかな海、オリーブ公園、棚田、夕陽ー。
小豆島には見どころが山のようにある。

「さて、どこへ行こう」などと考えていたら、ふと、
頭の中に醤油蔵の画が浮かんだ。

小豆島の名産といったら、オリーブに素麺、それに醤油である。

醤油蔵をのぞいてみたい、しかしー

よそ者がいきなり蔵を訪ねて行ってもいぶかしがられるのではないか…

そんな懸念もあり、誰か醤油蔵に顔の利く人はいないかと尋ね歩いた。
そんな折、

「案内を頼むのにぴったりの人がいる」

という話を聞き、その人と待ち合わせることにした。

落ち合うのは「森國酒造」に併設されたカフェ。
どうやらここは、小豆島にある唯一の酒蔵のようだ。
冷たい珈琲を飲んで待っていると、現れたのは意外にも、現代風の若い女性…
というより“女の子”といったほうがしっくりくる。

人懐っこい笑みを浮かべた顔に、あごで切りそろえた髪がよく似合う。

「はじめまして、ケリーです」

彼女は言った。

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醤の郷に生まれて

~黒島慶子の物語り~

彼女の本当の名前は黒島慶子。1983年、醤油蔵が立ち並ぶ醤(ひしお)の郷に生まれた。

京都の芸術大学で情報デザインを学び、今また故郷の小豆島で暮らしている。

ケリーというあだ名は大学時代、級友にもらったものだった。

彼女は醤油ソムリエの資格を持っていることもあり、この辺りの
醤油蔵とは懇意にしている。大学3回生、20歳の時。

「私だからこそできる表現って何だろう」と考えたケリーは、
故郷の名産である醤油の魅力を伝えたいという想いに行き着く。
問題は、その方法。

芸術に特化した大学で発想力を鍛えられ、風変わりな級友に囲まれて過ごした彼女は、
醤油の魅力を広めるユニークな手段はないものかと、頭をひねり続けた。

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目の当たりにした蔵人の本音

~「儲からんから続けられん」~

「自分にしかできない表現」を模索しはじめたころ。

何かヒントをつかもうと、たくさんの人に会いに行き、
いろんな話を聞いて回った。

最後の最後に、生まれてからずっと身近にあった醤油蔵を訪ねた。

そこで蔵人の話を聞いて、「小豆島のお醤油って、すごいんだ!」と
改めて思ったという。

雨が少なく日当りのいい小豆島は、雑菌が増えにくいため醤油づくりに向いている、
とケリーは教えてくれた。

「この地域一帯には、お醤油の良い菌が生きています。
風もよく通るので、地域全体に良い菌が広まるんです」

だが、逆に言うと、

「どこかひとつの蔵が悪い菌をつくってしまうと、全体の菌が悪くなってしまう。
だから蔵同士が力を合わせて醤油づくりに励んでいるんです」

島の風土を活かし、江戸時代から変わらぬ製法で、
蔵人たちが丹精込めてつくる醤油。

はじめてきちんと故郷の醤油と向き合ったとき、
これこそが島の未来を支える産業だと確信したケリー。

そのとき思わず蔵人に言った。

「ずっと守り続けていってくださいね!」とー。

すると蔵人は、「儲からんから続けられん」と一蹴したのである。

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この島の産業を残す

~私にしかできないやり方~

最盛期、ここ小豆島には400軒もの醤油蔵があった。
明治10年~20年ごろの間だろうか。

醤油産業で儲かったお金によって、島の人々の暮らしは成り立っていた。

しかし、食文化の欧米化、簡便性を追求する中で台頭してきた
さまざまな調味料。

醤油の売り上げは、どんどん落ちていった。蔵の数は年々減少していき、
今では21軒を数えるのみになっている。

「つくり手の体温を感じる小豆島のお醤油」を、
廃れさせるのは悲しい。

だけど、蔵人の生活も守るべき。

ケリーはほかの誰でもない、自分が島の産業を伝えていこうと奮い立つ。

「後世のためにも島の産業を残したい、
それも私にしかできない方法で」

そう、その方法こそがケリーにとって醤油ソムリエになることだったのだ。

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もっとも古い醤油蔵

~正金醤油の蔵へ~

創業約130年、醤の郷でもっとも古い醤油蔵に、ケリーは連れて行ってくれた。

「正金醤油」

会長自らの歓迎を受け、私たちはモロミ蔵の中をのぞかせてもらう。

するとー

発酵熟成中の醤油が入った大きな杉桶が、いくつも並んでいた。

このような木桶仕込みというのは、全体の1%にも満たない醤油づくりの方法で、
非常に貴重なのだそうだ。

杉桶に仕込んだモロミを発酵させる酵母菌は、桶だけでなく天井にも壁にも、
いたるところに住み込んでいて、モロミの発酵を手助けする。

桶の中のモロミが「プチプチ」といって、大小の気泡を立てているのが見えた。

「気温が25度を超えるころ、ちょうど6月くらいが醤油の成長過程でもっとも
発酵が盛んな季節なんだ」会長は言う。

醤油が盛んに発泡する様子は、その時期だけしか見られない貴重な光景。

自然の気候にゆだねた天然醸造というのは、そういうものだ。

「今は、室温を機械によって25度以上に調整し、
天然醸造の環境を人工的につくり出す方法もある。
そうすると、一年中醤油づくりができるわけだが…」

しかしここでは、日本の四季の移ろいにあらがわず、時間と手間をかけた
400年前の醤油づくりをひたすら守り続けている。

発酵中の醤油は、こまめにかき混ぜないと、あっという間にふくれあがって
桶からあふれ出してしまう。

そのかき混ぜる作業は想像以上に過酷で、
根気と体力が必要とされる重労働だ。

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表現者としての醤油ソムリエ

~ふるさとで活動する日々~

醤油ソムリエは認定機関が存在せず、これができなくてはいけないという
明確な決まりもない。

活動内容も、醤油に関することならどんなものでもかまわない。

「お醤油のつくり手と使い手をつなげることなら何でもする」

そうケリーは言う。

飲食店や旅館で使う醤油を選んだり、醤油の企画や商品開発にも携わる。

依頼さえあればワークショップを開いたりもする。今は月に一度ほどのペースで、
20~30人を相手に醤油選びのアドバイスなどを行っている。

「ワークショップのいいところは、参加者にアプローチできるとともに、
一度に何十人という人のお醤油に対する反応が見られるところ。
リサーチするにはうってつけの場なんです」

実は彼女、醤油ソムリエだけでなく、
オリーブオイルソムリエの資格も持っている。

2009年に設立されたオリーブオイルソムリエ協会の、
彼女は第一期生にあたる。

「醤油ソムリエといっても自称だし、ソムリエールとしてのふるまいも
すべて自己流でした。そういったことを学ぶためにも資格として
オリーブオイルソムリエを身につけたかったんです」

オリーブオイルソムリエの資格を手に入れたケリーは、
ひとりのソムリエとして、ふるさとを想い活動する表現者として、
より一層深みを増していく。

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“あたりまえ”を魅力に変えて

~生まれ育って培うもの~

「残すべき産業が残らなければ、100年後の人はこの島で仕事ができない。
そうなると、生活ができなくなるし、子供達が活き活きと暮らせない」

近い将来、小豆島が無人島になってしまうのではないか、そんな
危機感があるという。

しかし、ケリーが今こうしてここにいるのは、そうした危惧からだけではない。

活動の場に故郷の小豆島を選んだのは、ケリーの表現力を
育ててくれた場所だから。

ケリーは言う。

「表現力って、生まれて育つ、その過程で培っていくものだから」

それに、「ほかの土地でやるのと違って
本気度も違うし、逃げも隠れもできないでしょう」

やると決めたらまっとうする、ケリーの言葉には、そんな力強さがあった。

ケリーの活動は、ソムリエだけではない。

小豆島の魅力を日々伝える小豆島ガールとしての顔もある。

「小豆島は日本の“あたりまえ”の魅力が詰まった島」

そう言うケリーは、同じ小豆島ガールの仲間達とともにあたりまえの
魅力を日々発信し続けている。

「生まれた場所と向き合って、その魅力をおもしろく伝えていくのが使命ー」

自分のルーツを見つめながら、ケリーはこれからも表現者として生き続けるだろう。

彼女の信念とその笑顔が広がれば、島の未来はきっと明るい。

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