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「ホテル&リストランテ イル レガーロ」小椋潤シェフ

地場の味、シンプルに
「ホテル&リストランテ イル レガーロ」小椋潤シェフの物語り
今でも思い出す、あの、まかないトマトパスタ―
素材を活かしたその味に感動し、
地元の食材にこだわり続ける磐梯っ子シェフの物語り

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Buon appetito !

裏磐梯高原は五色沼の入口近く。 雑木林の続く気持ちの良い道路沿いに、
多色煉瓦と二本の尖塔が印象的な、西洋風の建物がある。

木々の緑に癒されながら、本格的なイタリア料理を堪能できる、
「ホテル&リストランテ イル レガーロ」。

美しい絵皿やワインボトルが飾られた、イタリアムード満点のダイニングで供される、
地元の食材を生かした料理は、高原リゾートのランチにぴったり。

お気に召せば併設のホテルに宿泊して、ワインを傾けながら、
優雅なディナーという楽しみ方もできる。

この夢のような食空間を提供しているのは、オーナーシェフの小椋(おぐら)潤さん。

生まれも育ちも裏磐梯という小椋さんが、いかにしてイタリア料理の道に入り、 
どんな想いを持って日々料理を作っているのか。

しばし、その物語りに耳を傾けてみよう。

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トマトパスタの衝撃

ご両親がプチホテルを経営していたこともあり、小さい頃から料理はよく手伝っていた。 
仕事として料理をやっていこうという気持ちも、 こうした中で、自然に生まれたものだった。

高校卒業後、小椋さんは東京にある服部栄養専門学校に入学した。 
力を入れて勉強したのは、当時、洋食の主流とされていたフランス料理だった。

転機はたまたまアルバイトに行ったイタリア料理店で訪れた。
そこで賄(まかな)いに出されたトマトソースのスパゲティ。

それまでスパゲティと言えば、 「ナポリタン」のイメージしかなかった小椋さんは、衝撃を受けた。 
トマトだけのシンプルなソースが、こんなに美味しいとは!

その後、素材をそのまま生かす、 イタリア料理の哲学を知るにつれて、
小椋さんは、益々これに心を惹かれていった。

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イタリア料理のシェフとして

イタリア料理に魅了された小椋さんは、専門学校卒業後、イタリア料理店に就職した。

八年間かけて都内の数店を回り、みっちりとイタリア料理の修業をした。

そして二十代が終わりに近付いた一九九九年、 故郷の裏磐梯、五色沼入口に、
新しく自分の店「イル レガーロ」を開いた。

もちろん、未だ勉強は途上。特に本場イタリアの料理を知らなくては、という想いは強く、
店を開いて以降はイタリアにも通い始めた。

現地での食べ歩き、知人を介した人との交流。

さらには、イタリアでの調理体験も積みながら、本場の素材の生かし方を学び、
イタリア産食材の調達なども行ってきた。

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小椋シェフの「レガーロ(贈り物)」

イル レガーロ」のメニューには、 小椋シェフの哲学が色濃く反映されている。

野菜サラダには、 自家菜園で採れた素材と近所の農家から購入した素材が、
季節ごとに最適なバランスでミックスされ、それをイタリア産オリーブ油とバルサミコ酢が、
きっちりまとめている。

パスタは、基本のスパゲッティ、 自家製の生フェットチーネ、 
さらには地元産そば粉のパスタも用意され、それぞれに合わせて自家菜園のナスや、
フォンティーナチーズのクリームソースなどで仕上げられる。

肉料理にはビーフステーキの他に、「エゴマ豚のソテー 自家菜園野菜添え」があり、
福島県が普及に努めている「エゴマ豚」を、美味しく食べてもらう工夫に余念がない。

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美味しさを追求すると

小椋シェフの地産地消へのこだわりは相当なものだ。
店の裏に自家菜園を作り、畑仕事も自分でやる。

地元の農家の人たちとの交流も大切にしており、地豆を使った料理の提案で、
農業雑誌に載ったこともある。

重要なのはそれが、イタリア料理のシェフとして、 
美味しさを追求することから来ている点だ。

「イタリア料理の発想というのはそもそも、 素材を生かす、土地と結び付いたものなんです。
イタリアに行くと、 各地に、その土地にしかない素材があって、 
それが本当に美味しい郷土料理になっている」

小椋シェフは、そう語る。

「だから、ここでやるからには、 地元の素材を生かそう、というのは、
イタリアンの料理人として、ごく自然な発想なんです」

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震災を乗り越える

地産地消と言う以上、 原発事故と放射能の問題は避けて通れない。

ここ裏磐梯では、線量の上昇もほとんど見られなかったが、 
あの事故以来、客足はガクンと落ちた。

風評の恐ろしさだ。

「この地域では普通に食べて、普通に暮らしているのに、
というくやしさは、確かにあります」 

と小椋シェフは言う。

一方で、見えない物ゆえの不安も理解できる。 だから小椋シェフは、
菜園や敷地内の線量を、自分で計る。

「安全が確認された地元の素材を使い、 美味しい物を作ってお出しする。
その当たり前の努力を続けていくこと。普通に、ごく普通にぼくらがやっていくことが、
結局は、安心につながるんじゃないかと」

訥々(とつとつ)とそう語る小椋シェフの口調には、
イタリア料理のシェフとしての矜持(きょうじ)と、
故郷を愛する会津人の矜持が、見事に融け合っている―。

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