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鞆の浦、 イタリア化計画 ・例のやつ…

変化の波を起こす
鞆の浦、イタリア化計画・例のやつ…の物語り
まったく違うようでいて、
どこかイタリアに似ている鞆の浦
この地を舞台に起こす、三人のムーブメント

18

医院でカフェーのパラドックス

鞆の細道、イタリアン

ぼくは、鞆の町を当てもなく散歩する。
しまなみ信用金庫のモルタル塗りの壁を眺めながら、
そのT字路を北に折れる。
地面がコンクリートから、波状の石畳に変わる。

その細い石畳の道を辿っていると、
どこからか、イタリア料理のいい匂いが漂ってきた。
ぼくは、はたと、昼なにも食べていないことに気が付いた。
匂いのするほうに、鼻をひくつかせる。

―「倉田医院」。
乳白色の大理石柄の壁に、そう表札が出ている。
でも、そのすぐ隣に立てかけてある木の板には、
「鞆町カフェー/454」と大書されている。

医院でカフェーのパラドックス。
ぼくは、カフェーであることを祈りながら、
ドアを開ける。

48

注文は一言、「例の」

スローでリッチな時間の中で

昼時からずいぶん外れていたから、
お客さんの入りは、ひと段落しているようだった。
店内には、クラシカルな音楽が心地よく流れている。

キッチンは黒タイルで囲まれていて、 一方、
客用スペースは、白い壁とウッディなテーブルに椅子。
そこに赤いソファがよく映える。黒と白と赤。
よけいな色は、一切ない。
一目で落ち着ける空間だ、と思った。

店長さんらしき男の人が、「いらっしゃい」と言う。
ぼくは、「こんにちは」とあいさつし、
まだランチはやっているか確認する。
その男の人は、「やっていますよ」といって、
ぼくをソファーの席に案内してくれる。

ぼくは、ソファーのやわらかい感触を 腰回りで確かめながら、
メニューの書かれている黒板を眺める。
そこには、

「本日の気まぐれメニュー」

と記されている。
その中の一品、「例のパスタ」。

―例のパスタ?
黒板に書かれたメニューの数行の内、
そう書かれている一行が、たしかにあった。
そして、もちろんぼくは、それを注文した。
好奇心には、勝てない。

店長さんが出してくれたパスタは、
オイルサーディンと生トマトのパスタだった。
パスタの茹で加減も申し分ないし、
何よりもオイルサーディンがとてもおいしかった。
しっとりと深い塩味を感じる。
スモークで香り付けされているのだろうか、
とても味の密度が濃い。

ぼくは、スローでリッチな時間の中で、
本格パスタを存分に愉しむことができた。

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店長さんに訊きたいこと

番地の店名、例のブランド

ぼくは店長さんに話しかけてみる。

訊きたいことがたくさんあった。
看板のパラドックスや、「例の」という
枕詞の付いたパスタ、それに、
妙においしいオイルサーディンについて。

店長さんは、ぼくの質問に気さくに応じてくれた。

店長さんのお名前は、
外の「倉田医院」の看板と同じ、
倉田さん、だった。実家の病院を
イタリアンレストランに改装したのだそうだ。

「じゃあ、454は?」

と、ぼくが訊くと、倉田さんは笑いながら教えてくれる。

「それは番地なんですよ。福山市鞆町鞆454番地」

あはは、なるほど。

鞆の町で生まれ育った倉田さんは、
大阪に出てイタリア料理の修業を積み、
その後、本場イタリアにまで留学したという。
本場仕込みの腕前。

それで、なっとくできた。「例の」パスタ、
ほんとうにおいしかったのだ。

「それに、ネーミングも面白いですよね。
『例の』ちょうだい、なんて注文したら、
常連さんにでもなった気分がします」

ぼくが、そう笑いながら言うと、
倉田さんも笑顔で応えてくれる。

「そうですね、そういうふうに、親しみを感じてもらえたり、
ん?って興味を持ってもらえたりね。でも、実はこれ、
れっきとしたブランド名なんですよ」

ブランド名? 「例の」、が?

ぼくの疑問をよそに、倉田さんは
厨房のほうへと、なにかを取りに向かった。

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『例の』瓶詰、ならぶ

こだわり、あり

倉田さんは三つの瓶詰めを持ってきてくれる。
フタには「例の」と、赤い文字で書かれている。

倉田さんは、その内のひとつ、
背の低いずんぐりとした瓶を指して言う。

「これです、さっきのパスタに入ってたやつ。
国産いわしのオイルサーディン」

ぼくは倉田さんのご厚意で、味見をさせてもらった。
やはり、すごく深い塩味を感じる。

「塩っ気が濃厚に出てるでしょう」

ぼくの反応を見て、倉田さんは言う。

「単純に一夜干しするだけじゃ、
この塩っ気は出ないんですよ。これ、
スモークかけてましてね、燻製っぽい深い旨味、
感じませんか。スモークかけると、
ぎゅっと味が詰まるんですね」

ぼくは得心がいき、うんうん頷く。

「これ、福山市のバラ祭りで出品したんですけど、
食べてくれた人は、おかげさまで、だいたい反応よかったです。
中国新聞さんなどは、すこし取り上げてもくれましたし」

「この『例の』は、カフェー454さんが
企画して、出品したんですか」

と、ぼくは訊く。

「いえ、うちだけで展開してるわけじゃないんです。
干物を専門に扱ってる仲間がいて、
その人が販売を担当したり、一夜干しを作ったり」

そう言いながら、倉田さんは、今度は長細い瓶の
「例の」を開けて、ぼくに勧めてくれる。
長細い魚の干物だった。

「さよりのジャーキーですよ。鞆っぽいでしょ」

たしかに、鞆っぽい。

さよりの形がすっかり眺められて、
鞆の浦の海岸などで見られる、
あの丸干しのイメージそのものだ。

それに、なんと言っても、おいしい。
ぼくがその感想を素直に述べると、倉田さんは、

「こだわりがあるんです」

と、瓶を持ち上げながら応える。

「ふつう、さよりの一夜干しを作るときなどは、
単純に塩水に漬けるだけなんですけど、
『例の』のさよりは、その塩水の中に
昆布茶も混ぜてるんですよ。それで、臭みも消えるし、
香り付けにもなるということで。ひと味違うものをって」

うん、そのこだわりを、すごく感じる。

「この干物を作ってくれてる人ですけど、
そろそろ店に顔出すと思いますよ」

え?とぼくは驚く。

「ちょうど、彼とここで会う予定だったんです。
あ、あと、この『例の』のロゴなんかを
デザインしてくれた人も来ますよ」

すごい「ちょうど」、もあったものだ。

ぼくはこの偶然に甘えて、
もう少しお店に長居させてもらうことにした。

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繋がりの輪、めぐる

「鞆発信」という想い

ぼくと倉田さんは、
他のおふたりを待ちながら、話を続ける。

「なんで、こういう商品を開発しようって思ったんです?」

と、ぼくは訊く。

「もともと、ぼくがデザインの人と
飲み友だちだったんですよ。桑田くんっていうんですけど。
で、去年、久しぶりに会ったときに、
彼からアンチョビの作り方を訊かれて」

「アンチョビ、ですか?」

「ええ、アンチョビ、です」

と、倉田さんは頷きながら応える。

「もともと彼の中で、鞆発信で何かやっていきたい
というのがあったんですね。でも、なかなかできなくて。
で、今回、海の幸ということで、アンチョビを
作ってみないかって持ちかけられたんです、
自家製の。で、それを鞆で売ればいいじゃないって話で」

なるほど、「鞆発信で」という想いが、
最初にあったんだ。

「で、それから、販売を担当する門田(モンデン)くんっていう、
カヤッカーズカフェの人とも繋がれて、それでちょうど、
ぴたっと三人、はまったんです」

「カヤッカーズカフェというと、
あの常夜燈への通りにある干物屋さんですよね?
店先にさよりが干してあって、
海の家みたいな雰囲気の」

「そうですそうです。そこの門田くんと、
デザイナーの桑田くん、それに、ぼくの三人で、
バラ祭りのイベントもあることだし、
じゃあ、やっちゃう? って」

ははは。その瞬発力がすごい。

「そのバラ祭りのイベント自体、
『備後デザインサロン』という、
デザイン集団の企画だったんですね。
この企画では、この『例の』のほかにも、
革製品を作って売ったり、『福山コーラ』っていう
地ビールじゃないですけど、地コーラっていうのかな、
そういうのも作ったりしていて。
あと、『福山TANSAN』―これは、ハイボール用の
炭酸なんですけどね、これらのラベルを
デザインしたのも、桑田くんなんですよ」

地元の若い人たちの間で、
そんな活発な活動がなされているんだ。

「その『福山コーラ』と『福山TANSAN』の発案元は、
地元の斎藤飲料っていう酒屋さん。
そこの人とも、ぼく、すごく仲良くって」

繋がりの輪が、めぐる。倉田さんは続ける。

「福山、鞆の浦から、『義』の繋がりの中で
生まれたものを世に出していこうというのが、まずあるんです。
ぼくは『食』、そして、向こうは酒屋ですから
コーラとか炭酸とか。それにデザインと販売の仲間が繋がって、
自分らで企画して、作って、それを福山、鞆発信で展開していく」

そして、倉田さんは、すこし間を空けて、言う。
―そんなふうにね、していきたいんです。

85

鞆の浦、イタリア化計画

『例のやつ』、誕生秘話

倉田さんが淹れてくれたおいしいコーヒーを
ゆっくり楽しんでいると、そこへ
カヤッカーズカフェの 門田さんと、
デザイナーの桑田さんがやってきた。

ぼくは、おふたりに「こんにちは」と言い、
簡単な自己紹介をした。おふたりも、
ぼくに笑顔であいさつを返してくれた。

ぼくが『例の』ブランドについて話を訊きたいと言うと、
門田さんは快活に笑って、快く承知してくれた。
そして、さっそくぼくは、ずっと疑問に思っていたことを質問する。

「どうして、『例の』っていう名前なんですか?」

門田さんは、そうですねえ、と言って話しはじめる。

「コミュニケーションの中で、みんなよく使うと思いますけど、
『例のやつ』ってね、その言葉遊び的なニュアンスの中から
作った名前なんですよ」

「鞆の『例のやつ』、買ってきたよ、みたいに?」

「そうそう。そうしたら絶対、その『例のやつ』って何なん?
って訊きたくなるでしょ」

なるほど、とぼくは頷く。

「ちなみに、そのネーミングって誰が考えたんですか?」

「いろんなネーミング出てたんですけど、
たまたま……何からきたんかな、『例のやつ』って?」

三人はみんなで、うん? と同時に首をひねる。
ぼくは見ていて、思わずおかしくなってしまう。
門田さんも笑いながら言う。

「ま、とにかく、誰かが言い出したんですよ、
『例のやつ』って。最初、単純に瓶の中に入れるってことだけは
決まってたんで、『うまい瓶』とか、そういうストレートな
名前にしようかなって思ってたんですけど、
まあそれは違うなって」

あははと、みんなで笑う。そして、門田さんは続ける。

「でも、その前に『イタリア』ってコンセプトも
前提としてあったんですよ。
『鞆の浦、イタリア化計画』、ってね」

―鞆の浦、イタリア化計画?

「鞆の浦が、イタリアになるんですか?」

と、ぼくは訊く。門田さんは応える。

「ははは、ちょっと唐突に聞こえるかもしれませんね。
でもね、イタリアと鞆の浦って、
けっこう似ているところがあるんですよ」

ぼくは鞆の浦と、イタリアをぼんやり思い浮かべる。
門田さんは言う。

「まず、鞆の浦って言ったら、石畳ですよね。
それに細い路地に、海」

なるほど。同じ多島海である瀬戸内海と地中海、
それに歴史を保存した町並み。 うん、たしかに似ているかもしれない。

「それにね」と、門田さんは言う。

「倉田さんもイタリアのほうで半年くらい
修業されてきていて、それも意識してるんです。
でも要は、海が近くにあって、豊かで古くてゆっくりとした
感じが似てるんですね」

スローでリッチな感じ、それはさっき、
ぼくもこの店の中で体験済みだ。

「そんなイタリアってコンセプトがまずあって、
そこで『例の』って単語がね、なんで出たんかな?
とにかくポツって出たんですよ、三人の中で。
それで、桑田さんが、『例』って書いたんですよね、
漢字で」

デザイナーの桑田さんは、「そうでしたっけね」と、
こだわりなく笑ながら、応える。

「うん、そうそう」と門田さんは頷きながら続ける。

「そしたら、これ、『イタリア』に見えるなって。
それで、『例のやつ』にしようって」

バラバラだったものが、三人のグルーヴ感の中で、
何故かぴたりとひとつに繋がる。 倉田さん、門田さん、桑田さん。

―三人の間で生じる、不思議に心地よい、磁場、磁界。

95

NOT 競争 BUT 変化

三人で、えがく

BGMは、変わらずちょうどよい音量で、
心地よく店内の空気を揺らしている。
門田さんは言う。

「ぼく、『カヤッカーズカフェ』で、
倉田さんは『カフェー/454』さん。
お互いカフェでライバルって言えばライバルなんですけど、
桑田さんの橋渡しのおかげで、最近知り合って、
話するようになってね」

それから、門田さんはふたりの相棒をちらと眺めて、
一呼吸置いてから、続ける。

「それで、よくわかりました。これからの世の中、
『競争』、じゃなくって、『変化』―。
『変化』を受け入れて、その『変化』の波にうまく乗ったものが、
評価される時代なんですよね。 むやみに競い合ってばかりいても、
駄目なんだなって。それで一緒にやろうかなって、
シンプルにそう思えたんです。『競争』じゃなくって、
三人で鞆の浦に『変化』の波を起こす」

「ほんとうに、いいタイミングで、
いい繋がりができたんですね」

「そうですね」と、門田さんは応える。

「倉田さんは、このお店がまさにご実家で、
鞆の人なわけですけど、ぼくは鞆の外の人間です 。
それを、桑田さんが結び付けてくれた。
この繋がりを大切に、鞆の浦が、今後、良い『変化』を
遂げていけるように、 三人でこの『例のやつ』を
育てていければって、そう思っているんです」

いたずらに「競争」して対立図式ばかりを描くのではなく、
違いを個性や能力と認め合って、その繋がりの推進力によって、
より良い「変化」を求めていく。

この鞆の町は、数年後、いったいどんな良い「変化」を
遂げているだろう。どんな未来を描いているだろう。

ぼくは、この三人の活動を知り、笑顔に触れて、
鞆の未来の大きな可能性を見た心地がした。

101

これから、ここから―

鞆って良かったよって、素直に

門田さんは言う。

「鞆の浦って歴史もあるし、
江戸時代からの町並みも残ってる。でもね、
そんなに歴史、歴史って、ありがたがるんじゃなくって、
もっと肩の力を抜いて、ふんわりと雰囲気だけで
楽しんでほしいんです、鞆の町を。
そして、いろんな人と出逢って、コミュニケーションとって、
鞆って良かったよっていうのをね、味わってもらって、
それを友だちなんかに広めていってもらえれば、
それでぼくは満足です。

鞆って素敵なところなんだよって、
福山の人や、そのほか全国の人たちが知ってくれたら、
ほんとうにうれしい。

鞆って今までアニメや大河ドラマなんかで、
わーって流行りましたけど、でも、そういうのって
一過性のブームなんですよね。 息長くないんです。
もっと、広い視野で鞆全体を眺めて、大きなストーリーを
描くことが大切なんじゃないかなって思います。

鞆の浦って、ほんとうに歴史がそっくり保存されていて、
うちのカヤッカーズカフェなんかも、築二百年の町家です。
そういうのが通りに、ごくふつうに建っているんです。

こういうところって、
福山市の中でも唯一鞆の浦にしかないですよ。
お城やお茶室見学じゃないんでね、歴史だ、
伝統だって固くならずに、町歩きの中で、
その古き佳き雰囲気を味わいに来ていただけたらなって、
そればかりを、ただただ思うんです」

ぼくは、ソファにいっしょに腰かけている三人を、
改めて眺めてみた。 干物作りのプロフェッショナルに、
イタリア帰りの本格派シェフ、それにデザインマスター
のアートディレクター。

この個性溢れる三人の繋がりの輪の中に、
鞆の浦の豊かな「変化」が芽吹きはじめている。
ぼくは、そんなふうに思った。

これから、そして、ここから―。

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