1. HOME
  2. 「オノギ食品」小野木社長

「オノギ食品」小野木社長

郷土の味に誇りを持って
「オノギ食品」小野木社長の物語り
会津人として、郷土に誇りを持つ―
純粋な負けん気と郷土愛があったからこそ、
壁を乗り越え、成長し続けることができた

bg_onogi1

「食」に挑んだ、会津人

「オノギ食品」小野木國一の物語り

震災から一年半が過ぎた。

沿岸部と比べると、直接的な惨害は少なかったものの、その反面、
真綿で首を絞められるように、今なお、陰伏的な被害に苦しめられている。

そう、会津は、いまだ疲弊している。福島原発の、その爪痕。

しかし、そんな中でも、下を向かず、「食」に挑み続ける、
ひとりの会津人がいる。

その人、質朴にして、凛。
―「オノギ食品」小野木國一の、物語り。

bg_onogi2

会津人の萌芽

若木、真っ直ぐと

幼少期、小野木少年の父は露天商だった。

―露天商の息子やい、飴売りの息子やい高学年になり、友人たちに、
そう揶揄されて、貧乏人と金持ちのいることを、勃然と知った。

そして、小野木少年は、若々しく奮い立つ。
いつか、人の上に立つ人間になってやろう。そう、決めた。

悲壮感は微塵もなかった。只々、純粋な負けん気があるばかりだった。

「我、だよな」小野木社長は、そう振り返る。

しかし、それは、賀すべきひとつの、萌芽だった。
会津人の気骨の、豊かな芽生えだった。

青々とした若木は、伸びやかに上昇を希求した。

bg_onogi3

そしてまた、 挑む

種蒔く人

二十四で珍味屋を初め、四十を前にして、悩んだ。
人生に、経営に、悩んだ。

己ひとりの幸だけでなく、社員の生活を想った。
珍味屋だけじゃ、社員を食わせていけない。

懊悩の末、新しい種を蒔いた。「喜多方ラーメン」という種。

当時、この地元の産品は、東京では無名だった。
売れなかった。都会のバッタ屋にも引っ掛かった。

それでも、挑み、挑み、そしてまた、挑んだ
五年が経った―ひとつの事業が、成っていた。

bg_onogi4

会津を誇る

地域愛、そのさきがけ

会津には「こづゆ」という郷土料理がある。

慶事の際に、各家庭で作られる、貝柱の出汁をベースとした、
具沢山の醤油汁。

当時、「こづゆ」のような郷土料理は、単なる家庭料理と卑下され、
外に出すものではないとされていた。

しかし、小野木社長は、愧じずに胸を張った。
これが会津の、おれたちの、郷土料理だと、誇った

そうして、「こづゆ」を世に出した。
今から、二十年前の話だ。

bg_onogi5

みちしるべ

四者の幸せのために

今から十一年前、「武者煎餅」を任せたいという話が舞い込んできた。

不況の煽りで一時期、店頭から姿を消していた、会津の伝統ある銘菓。

受けるべきか、断るべきか―。

その時、判断の決め手となったのが、いつも我が身と共にあった、
一冊の黒い手帳だった。

その中には、自分の経営人生の、その道程で、
大切に耕し続けてきた、心田があった、理念があった。

会津の食文化の伝承と創造を通して、四者満足、つまり、
お客様、社員、経営者、地域社会の幸せを目指す。

その経営理念をじつと見つめた。
―受ける、と決めた。

bg_onogi6

会津に託され、 感謝され

うれし泣き

「武者煎餅」は多くの賛同者を得て、復刻された。

会津への恩返し―、その真率な想いが、人を動かした。奮わせた。

―我が子のように可愛がってきた焼成機だ、どうか活かしてほしい。

前の製菓会社の職員は、そう言って社長の手を強く握った。

一度は「武者煎餅」の火を絶やしかけたその無念。
それを、一縷の望みに変えて、「オノギ食品」に、託した。

―ありがとう、本当にありがとう。

「武者煎餅」を長年愛してきた方たちからは、
飾りのない喜びの声が、次々と寄せられた。

ものを売って感謝される。
それが、嬉しくて、涙が流れた。

bg_onogi7

上を向いて挑もう

幸せになるために

会津の土地に、今なお底流し続ける、先の震災の爪痕。

それに向き合う時、多くの人は下を向き、あるいは、こわばる。

しかし、小野木社長に、変な力みはない。

―原発でも何でも、起きた現象はみんな同じだ。
しゅーんとしねで、挑戦していかねえと。

時代はいつでも変化していく。
そして、原発も、その変化のひとつなのだ。

変化のひとつである以上、それを悲観するか否かは、
ただ、受容する人間の認識に委ねられるそして、
小野木社長は、上を向いた。

―人間、幸せになるために生まれてきたんだ。
がんばっぺ、がんばっぺ。

その発想は、常に、健やかでシンプルだ。

会津の地に凛として立ち、その視線、
真っ直ぐ上に、澄明に。

bg_onogi8

会津のほんもの

次に伝える、やさしい恩送り

会津人が会津のものを使い、会津の伝統的な方法に依って、
正直に、誠実に作る。

産品の背景に、そのような豊かな「物語り」が息づいて、
初めて、その産品に、揺るぎない背骨が形成される。

そうして、ほんものに、成る。

そのほんものを正しく伝承していくことが、
おれの会津への恩返しなんだべな。

地域に生かされてきた、その深い自覚が、会津という郷里への、
裏表のない健やかな愛情として、ここに、大きく実った。

会津のほんものを、次の世代へと繋げていく、
やさしい、正の循環。恩送り。

その他の物語り