会津漆器 儀同漆器工房 儀同哲夫さん
人の世に豊かさと雅趣を添える会津の美と、
そこに誇りを懸けて対峙する職人の物語り
会津が誇る、 ジャパン・ブランド
「会津漆器」伝承の物語り
会津における、漆の歴史は、古い。
平安時代の昔より、仏具、仏像などに塗られ、人の世に、豊かさと雅趣を添えてきた。
東北の要衝の地・会津においては、四百年前から、城下町文化が花開き、
その時、萌した漆工芸という小さな芽は、 旧幕時代を通して、
ひとつの大きな文化へと、育っていった。
―「会津漆器」。
独特な発展を遂げ、秀麗に際立つ、この会津が誇るべき伝統工芸は、
現代でも、なお、その輝きを失わず―、
昔ながらの会津塗り、その手仕事の可能性は、新しい創作の場を、
いよいよ、旺然と切り開いている。
世界へ、未来へと、拡がる浩がる―、会津が誇る“ジャパン・ブランド”、
「会津漆器」伝承の物語り。
「会津漆器」の美の、ひみつ
「高貴な黒」と「職人の誇り」
漆器の艶は柔らかく、いかにも可憐だが、その一方で、武具や仏具の保護材にも
用いられるほど、塗り面を丈夫に覆うという性質も持つ。
そういった、美しくも日用に耐える、「用の美」を有する漆器だが、
やはり、その“美”の象徴は、漆黒と形容される、透徹した「高貴な黒」。
静けさと華やかさ、沈静と高揚が同居した、この日本の黒漆の“美”は、
十六世紀、欧州の宣教師らによって、自国に持ち帰られ、王侯貴族らの
審美的な関心すらも、大きく揺るがした。
しかし、「会津漆器」の繊細微妙な“美”は、「高貴な黒」ばかりに
恃んでいるわけではない。
厳格な分業化による、職人の徹底したプロ意識―。
板物、丸物と、器の「形状」で、まず専門を分かち、そして、木地づくり、
塗り、加飾といった、「工程」によって、さらに分業がなされる。
つまり、「会津漆器」には、その「工程」の数だけ、職人の誇りが注がれ、
“美”が積み重ねられ―、
そう、それが「会津漆器」の“美”の、ひみつ。
東北の喉元より産し
会津漆器、繋がる命脈
政治、交通の要所には、自ずと、寺院が建ち並び、その建立の過程で、
その地の産業は、いよいよ、隆々と。
東北の喉元・会津の地にあって、仏像や仏具、武具の製造と縁深い、
漆塗りの技法が大きく花開いたのは、ある種、必然的な帰趨であった。
四百余年前、蒲生氏郷公の転地に伴って、旧領の近江国(現在の滋賀県)
日野より、木地挽き・塗り職人が、会津の地に入り、「会津漆器」は
黎明期より、燦たる光を放つことになる。
そうして、文化を愛する、歴代の会津藩主らにより、
「会津漆器」は、慈しみ、育てられ―。
戊辰戦争の後には、この誇るべき伝統産業も、多くの会津人と同じく、
苦難の時代を迎えるが、全国に散った会津人たちの、深い郷土愛と共に、
文化を理解し、その復興に尽力した人物たちの想いがあって―、
「会津漆器」の命脈は、なお強く、現代へと、
その伝承の「糸」を、繋いでいる。
会津漆器と歩んであり
塗り師・儀同哲夫のクロニクル
愛されてある「会津漆器」、その文化の「糸」を次代へと繋ぐ、
塗り師、―「儀同漆器工房」儀同哲夫さん。
その人生は、常に「会津漆器」と共にあった。
会津塗り職人を父に持ち、小学生のころより、家業の手伝いを課せられ、
乾燥や袋詰めなどの工程を任された。
遊びたい盛りのこと、反発は、もちろん、あった。しかし、
当時、子どものお手伝いは、当たり前の時代。
「会津漆器」の“文化”としての価値など解らないまま、それでも、
漆器というものを、生活の一部として、空気のように、
直に肌で触れ続けていった。
そして、工業高校の漆工科にて、「会津漆器」を、初めて客観的に
“文化”として学び、その価値を、尊さを、知って―、
卒業後、家業を継いでからも、様々な師を学び渡り、
その先人のあたたかい教えを受け、恩に浴し、
そうして、いつしか、儀同さんは、会津を代表する塗り師として、
立っていた。
会津漆器×世界・未来
融通無碍な“ものづくり”
文化は、人に、親しみ慈しまれることで、その“いのち”、魂の緒を、長らえていく。
そして、その文化を慈しむのは、何と言っても、今の時代を生きる“人”。
先人より受け継いだ、技法と材料は、そのままに、時流と、ゆらり、
融通無碍に向き合って、現代の日用に耐える”ものづくり”を―。
「会津塗り」という伝統技法を背負う儀同さんだが、
依怙地(いこじ)さや、力みといったものは、微塵もなく、
少年のように、どこまでも快活で、好奇心旺盛。
現在は、「会津塗り」の新しい挑戦として、
”腕時計の文字盤塗り”に、取り組んでいる。
「漆だったら日本」と、凛とノーブルな「ジャパン・ブランド」が、
腕時計という“かたち”になって、海を渡り―。
「会津漆器」は、斬新なデザイン、新時代の文化として、
世界へ、未来へ、その可能性の両翼を、大きく拡げている。
恩廻り、文化の息は常永久に
もちつもたれつ、学び合い
儀同さんは、先人より受け継いだ技を、恩を、感謝と共に、
次の世代に、送る、贈る―。
儀同さんより学びを得て、今や、職人として、
立派に独り立ちしている者たちも、少なくない。
そして、現在は、「会津漆器技術後継者訓練校」にて、
「会津漆器」の未来を担う若者を、育成している。
しかし、ここでも、儀同さんは、あくまで、からりと、一個の人間。
師弟という立場の差など意識せず、対等に。
儀同さんの“経験・技術”と、若者の“自由な発想・価値観”を、
もちつもたれつの、交換っこ。
先人と後生の、こういった“刺激”の交流は、
文化に“健やかさ”を廻らせて―。
その中で、先人から頂いた教えとご恩は、川の流れのように、
自然、後生へと手渡され、そうして、文化の息は、常永久に―。
「会津漆器」の未来を、紡ぐ
人と文化は、共に生き
「会津漆器」と共に人生を歩んできて、儀同さんが、得たもの、
―それは、何より、人、だった。
尊敬できる職人の先達だけでなく、お弟子さんや、お客様など、
「会津漆器」という文化が、引き合わせてくれた、 すべての出逢いが、
大事な大事な、授かり物。
先の震災直後のこと、会津若松へ避難して来られた方々を元気づけようと、
「会津漆器」の体験指導を務めたことがあった。
その時、ある女の子が言ってくれた言葉に、
儀同さんの心は、奮えた。
―久しぶりに、楽しかった。どうも、ありがとう。
文化が人を生かし、そうして、人に必要とされた文化も、また、生きる。
儀同さんは、今日もまた、先人と後生、文化と人を繋ぐ「糸」として、
「会津漆器」の未来を、大きく鮮やかに、紡いでいく―。