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大切にしてること

なぜ物語りなのか

膨大な情報が駆け巡り、大切なことが伝わらない。だからニッポニア・ニッポンは、その気持を物語りにのせて届けます。

なぜ物語りなのか

なぜ物語りなのか?


本当に良いものが伝わりにくい時代

インターネットの普及により、日々、膨大な量の広告や情報が世の中を駆け巡り、まさに、現代は情報氾濫社会。総務省のデータによれば、2000年から2010年の間に、消費者が選できる情報量は約600倍にまで増加したとのことです。また、一説によれば、わたしたちは、江戸時代の人が一生涯をかけて接する情報量を、わずか一日で消費しているとも言われています。

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このように日々発信されては消費されていく膨大な情報の波。
それらのほとんどが、あなたの心を素通りしているのではないでしょうか。
波が運んできた情報の中には、あなたにとって“大切なもの”があったのかもしれないのに―。


物語りの可能性

「昔むかし、あるところに…」
ちいさい頃、お母さんやお父さんに、あるいは学校の先生に読み聞かせてもらった昔ばなしや童話を思い出してみましょう。こういったお話は、親から子へ、隣人から隣人へと伝えられ、共同体の中で育まれながら口承文学として整えられて、その後、文字に起こされ書物となり、そうして様々な変遷を遂げた末に、今に残されています。

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これらの「物語り」には、刹那的な情報にはない、
明確な意志力を感じます。そう、人の心に長く留まろうとする、強い意志力(=想い)。

一方で、現代に溢れる情報は、寄せては返す波のよう。一気に押し寄せては消費され、そして一気に忘れ去られていき ます。あるいは、消費すらされずに、見過ごされていきます。

あなたの足元の波打ち際には、白い砂浜が広がっています。そこには、情報の波によって届けられた、きらきら光る砂粒(=教訓や感動)たちも。
しかし、忙しない波に掻き回されて、せっかくの砂の輝きが目に映りません。

だから、「物語り」なのです。
「物語り」という形式にして物事を伝えるということは、情報の波によってあなたの足元まで運ばれていた光る砂粒(=教訓や感動)たちを大切に掬い出し、気持ちを込めて透明な瓶に詰め、あなたに「どうぞ」とプレゼントする行為に似ています。

そうして目の前に示された瓶詰めの光る砂粒(=感動や教訓)たちは、あなたにとってかけがえのない“大切なもの”となるのです。
刹那的な情報からでは気付くことが難しい感動や教訓を、「物語り」でならば、しっかりと読み取ることが出来る―。

わたしたちは、「物語り」が持つ大きな可能性を信じています。


地域の物語りの親和性

地域には多種多様な個性(価値)があります。気候、風土、習慣、伝統、そして美意識。
しかし、近年、グローバル化という価値付けによって、そういった多様性が均されていきました。そして、そのように中央に価値付けされた風潮にあって、多くの地方は徐々に自信をなくし、疲弊していったのです。
ともすれば、地域が抱える魅力的な個性を、後進性と恥じるほどに―。

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しかし、そういった個性こそが、地域が抱える「宝もの」。

その土地が、そして、そこに住む人びとが、長い年月をかけて培ってきた豊かな地域性。それこそが、「ふるさと」が 持つ大きな価値と魅力であり、わたしたちに愛着と憧れを抱かせるのです。

さあ、グローバル化という風潮がもたらした均一な波の中から、その地域ならではの光る砂粒(=個性や魅力)を見つ けだし、大切に掬い出してあげましょう。

地域の持つ個性や魅力は、その土地での永続的な営みを通して育まれていったものです。それをただの情報として伝えても、いたずらに消費されるか、見過ごされるか。

だから、物語りのかたちに乗せてー。

その地域の光る砂粒(=個性や魅力)を大切に透明な瓶に詰めて、人の心に留めようという意志力を示してあげれば、その「物語り」はきっと“誰か”の心に届くはず。
そうして、その“誰か”の感動は、そのまた“誰か”の心と共鳴し、人から人へと伝わっていくのです。

そう、地域の枠すら超えて、広く大きく。