鞆の津 ミュージアム
底なしの可能性が広がっている―、
さあ、固定観念を捨てて、芸術の海へ
白壁の蔵→ミュージアム
オドロキ溢れる 新名所
小烏(こがらす)神社のほど近く、風情ある町家が並ぶ旧街道をふらりと逸れて、
石畳の路地を辿って行くと、白壁の立派な蔵が現れる。
いにしえの鞆の商家の財力に想いを馳せながら、広壮な蔵の壁に
沿って歩いて行くと、腰板に付された丸いマークに、目が止まった。
近寄って見ると、その下には、「鞆の津ミュージアム」の文字が―。
するとこれは、美術館? 一体何の?
にわかに興味が起こり、入口の引き戸をからりと開けて、
中に入ってみる。
そこは確かに、美術館だった。
それも一風変わった―。
蔵の中の不思議な物たち
次々と破られる固定観念
入って、まず驚いたのは、靴を脱いで上がるという、しくみ。
美術館に来たというよりは、誰かのお宅に、
お邪魔しているような気分になる。
高い天井に、黒々とした太い梁といった、
古い蔵の造りが生かされた内部に展示されているのは、
異様な集中力を感じさせる細工、独創的な構図と色遣いを持った絵画、
そして、 一見して笑いがこみ上げるような脱力系の手芸品―。
ひとつとして見慣れた、常識的な作品はなく、古い蔵造りとの
ギャップも相まって、 脳が否応なしに刺激される。
一体ここは何なのだろう。呆然と立ち尽くしていると、
受付にいた男性が、声をかけてくれた。
鞆の津ミュージアムとは
櫛野展正さんは語る
説明に来てくれたのは、櫛野展正(くしののぶまさ)さん。
このミュージアムのアートディレクターだ。
正規の美術教育を受けず、画壇やコマーシャリズムと無縁なところで、
作品を作り続けている人びとが、世の中には沢山いる。
純粋な表現欲に燃える、アウトサイダー的な、生の芸術。
それを、アール・ブリュットと呼ぶ。
2010年、「アール・ブリュット・ジャポネ展」が、パリで好評を
博したことを契機に、我が国でも、日本財団が後援して、全国に十館、
アール・ブリュットのミュージアムを作ろう、という計画が生まれた。
そのひとつとして、築百五十年の蔵を改装し、2012年5月にオープンしたのが、
ここ、「鞆の津ミュージアム」だったのだ。
ミュージアムの三本柱
ひとつ目は、障がい者アート
櫛野さんは、「障がい者」「現代」「地域」アートの三本柱で、
このミュージアムの展示を作っていこうと考えている。
一つ目の柱は、これまでも、アール・ブリュットの中心と目されてきた、
障がい者アート。
このミュージアムの母体は、知的障がい者施設を運営する社会福祉法人。
実は櫛野さんは、そこの支援員のひとりでもある。
繊細で豊かな個性をもって生まれてきた、施設の人たちの、
表現欲と集中力―、そこから創出される独創的な作品を、
何としても世に紹介し、評価を彼らに還元したい。
それによって彼らの幸福度を上げ、共生社会を実現したい。
経験から培った、そんな熱い想いが、櫛野さんを駆り立てている。
アール・ブリュットの広がり
変なもの、おかしなもの大集合!
ただし、障がい者アートだけにとどまることは、
櫛野さんの本意ではない。
アール・ブリュットは、障がい者のアートだけだと誤解されがちだが、
本当はストリートアート、受刑者アートなどを、広く含んだ概念だ。
守備範囲は広く取り、「生の芸術」を追求しよう!
こうした考え方が反映され、この一年、鞆の津ミュージアムでは、
さまざまな企画がなされてきた。
現代アーティストにゴミで作品を作ってもらったり、
モナ・リザの模倣作品を集めたり―、入ってみれば何かしら変わった、
好奇心を刺激するものがある。
それが鞆の津ミュージアムなのだ。
鞆の浦にある、意味
地域のアートを拾い出す
鞆の津ミュージアムが、もうひとつ大切にしているのが、
地域との結び付き。
現代アーティストを呼ぶ時も、何かしら、鞆の浦、
福山に関わる創作を依頼する。
今まであまり顧みられなかった、地元の収集マニアや占い師を呼んで、
パフォーマンスや展示をして貰うこともある。
地元の主婦が作って配る、毛糸やタオル地のぬいぐるみ。
無造作に扱われ、時には迷惑がられさえするそれらを、
「オカンアート」として、麗々(れいれい)しく展示したりもする。
すると、何が起こるのだろう。
まず、ミュージアムが、地域の人たちの交流の場になる。
そしてなにより、マニアのコレクションや主婦たちの手芸が、
新たな価値を持って、人々の前に立ち現れる。
コミュニティーのあり方を変える、
そう、それがアートの大きな可能性―。
子どもが走る、蔵の中
ミュージアム→遊び場
櫛野さんの話を聞いているあいだ、子どもたちの集団が、
二度ほど、脇を通り抜けた。
靴を脱いで展示スペースに上がり、館内をぐるりと一周し、
音の出る展示物のボタンを押してキャッキャと笑い、
そのうち、自然にいなくなる。
ここを、ミュージアムというよりは、遊び場、
あるいは、道草ルートのように思っている様子が面白く、
そのことを言うと、櫛野さんは笑って頷いた。
子どもに馴染んでもらうことも、ひとつの目標。
お隣さんの「鞆こども園」とは特に関係が深く、
昨年の開館式では、司会進行を園の五歳児に任せた。
それで、園児や小学校の低学年生は、
ここを自分たちの領分だと感じているのだろう。
発見の場、連結の場
鞆の津コミュニティセンター
疎外されていた人や物にスポットを当てる。
一風変わった地域の風物を集めて、観光や地域活性化にも繋げていく。
櫛野さんの話を聞いていると、最初に感じた驚きの正体が、
はっきりと見えてきた。
古さと新しさ、大人と子ども、異質な人と人とが繋がる、
コミュニティセンター。
それが、鞆の津ミュージアムだということ―。
そこには、障がい者、変わり者など、今まで日陰にいた人たちを、
陽の当たる場所に連れ出すという、一貫した思想がある。
このミュージアムが、今後どのように発展するか。
それは、鞆の未来のあり方を占う、
ひとつの試金石、なのかもしれない。