愚放塾塾長 木戸佑兒さん
参加者は、演劇と農作業、共同生活を通じて自分自身と向き合う。
そして自分なりにコミュニケーション力を磨き、
自主性を見出していく。
愚かさにはパワーがある
愚放塾との出合い
小豆島の西北部に位置する土庄町は、
瀬戸内の美しい海と自然に囲まれた、のどかな雰囲気が漂う町。
道を行くと、瓦屋根に木の板張りの外壁という、
どこか懐かしさを感じる平屋の建物が見えてきた。
その建物は『愚放塾』という看板を掲げていた。
“愚放”とは……聞いたことがない言葉だけれど、
いったいどんな意味があるのだろう。
「愚放塾は、『愚かさを放つことによって、
愚かさから放たれる』という親鸞(しんらん)の言葉から命名しました」
愚放塾の塾長・木戸佑兒さんが名前の由来をそう教えてくれた。
「愚」という言葉からは、「おろかでばかげている」
といったマイナスのイメージを受ける。
けれど木戸さんは、愚かであることは、
大きなものを生み出す力を秘めているという。
「道化師は愚かさを逆手にとって、世間の常識に一石を投じています。
お祭りやカーニバルも、愚かしい騒ぎの中に新しい価値観を創造する
大きなエネルギーが宿っている」
「愚を放つことで、『常識的な愚』から放たれる」
と木戸さんは話してくれた。
スキルは教えるものではない
自己本来の能力を引き出す
2014年9月に開塾した愚放塾は、自分本来の姿を見失い、
生き方に迷っている人たちの「再生のための避難所」である。
演劇と農業を通して本当の自分と向き合い、
コミュニケーションの取り方を学ぶのだという。
「コミュニケーションを学ぶ、といっても、
愚放塾ではスキルを教えるのではなく、
あるがままに喋れるようになることを目標にしています。
うまくしゃべれなくても、伝わればいいじゃないかと」
人とのコミュニケーションがうまく取れないばかりに、
自分が持っている可能性に気づけないでいる若者が多いという。
木戸さんは、「ここに来る子は、みんな感情を抑えている。
だからまず、感情を表現できるように手助けしています」と話した。
まずは、大きな声を出すことから始める。
「海に向かって、ワーという大声を出す。
それだけで、いろいろな面で変化が起こります」声を出すことで、
自分が表に出てくるようになる、と木戸さんは言う。
自信を持てない若者たち
愚放塾の「演劇メソッド」とは
自分の活かし方を見いだせずに、不登校や休学を望む若者たちは、自信を失い、
自分を表現するのを嫌がっているのではないだろうか。
人前に出たがらない彼らを、愚放塾の学びである「演劇」に出させることは、
やや荒療治のようにも思えるが……。
「人間は表現欲求を持っているって思うんです。
何かを表現したいという意欲が誰にでもある」
けれど、幼少期に親や学校の先生から、
『これは、やっちゃダメ!』と言われた言葉がトラウマのようになっていて、
やりたいことができなくなっていく。
ところが、演劇を通じて表現をすると、隠された自分が表に出てくるようになる。
木戸さんには、自身の経験から培った「演劇メソッド」というものがある。
舞台を整え、そこに立つように促す。
ただ見ているだけではなく、弱いところを皆で支え、
拍手が生まれるような状況を作る。すると、ステージに立った人の表情が、
みるみる明るくなり、個性の花が咲くという。
人間恐怖症の中学教師
克服するために選んだ演劇道
木戸さんは、意外なことを口にした。
「実は、僕も人付き合いが苦手で、引っ込み思案なんですよ。
人目ばかり気にして、自分に自信が持てずに20代まで過ごしてきました」
彼が演劇に出会ったのは、中学校の教師に就任してから二年経ったころ。
「病気の母を安心させるために教師になったんですが、
僕は人前に立つのが大の苦手なんです」
木戸さんは、緊張すると体が動く癖があるという。
生徒から「なんで先生、体そんなに動かすん!?」
と言われて笑われた。からかわれると余計緊張し、
パニックになって教えるどころではなかったという。
「授業は成立しない、生徒はバカにする。
ダメ教師って言われました」
悩み続けた木戸さんは、あるとき思い立って劇団に入る。
でも普通、人前に立つのが苦手なのに、
人前に立つ演劇を選ぶだろうか。
「俳優になれば、しょっちゅう見られているから、
人前での恐怖がなくなるんじゃないかって考えたんです。
克服するための方法みたいなものを、演劇で学べるんじゃないかって」
意外な手法を選んだ木戸さんは、
演劇を通じて今まで気づけなかった才能を発見し、
引っ込み事案を克服していく。
演技を通じた自己変容
演劇メソッドの基盤
その後、地元の山梨を離れ、神奈川の大きな私立高校に赴任。
演劇部の顧問に抜擢される。
学校には2000人を収容する大ホールがあり、
文化祭のときはそこで生徒たちが公演を行った。
当初一度きりの予定だったが、初年度の公演が好評で、
以後毎年公演が行われることに。
すると、演劇部にいろいろな生徒が集まり出す。
「いじめられっこ、不登校児が来るようになったんです」
自分を表現する場所として、生徒たちは演劇を自ら選んでやってきた。
それは、かつての木戸さんと同じだった。
「登校拒否の子が、放課後の演劇練習だけは来るんですよ。
みんな、昔の僕にそっくりな奴ばっかり。
その子たちを舞台に上げるには、一筋縄ではいかない。
褒めたりすかしたり、あの手この手で、いろいろな方法を試す」
木戸さんは生徒たちが演技を通して自己変容していく姿を目の当たりにする。
「舞台にきちんと立つということは本当に大変なことなんです。
小さい舞台ではごまかせるけれど、
大きい舞台で自信のない立ち方をすると何の存在感もなくなる。
内面から出てくる強いものがないと、演技はできない」
一番自信のない子を、自信を持って舞台に立たせるにはどうしたらいいのか……
試行錯誤しながら、木戸さんは演劇メソッドを作り上げていく。
ネガティブなものを肯定する
ガンとの闘いで得たもの
劇団を運営したり、カルチャーセンターの講師などを務めたり、
充実した毎日を送っていた木戸さんは50歳のとき、思わぬ危機に見舞われる。
「ガンになっちゃったんです。そのとき死を覚悟して、
これまでの人生で何をしてきたんだろうって。何もしていない、
自分の生きた証を何も残していないって思ったんです」
5年にわたるガンとの戦い。奇跡的に回復した木戸さんは、
残された人生を若者たちのために捧げることを決意する。
若き日の木戸さんが、身を持って体験した演劇を通した自己開花。
その方法を、若者たちに伝えたいと思った。
「新しいタイプの学校を開こうと考えました」
起業家育成のためのビジネススクールに通い、起業のノウハウを学ぶ。
そして、2014年9月に小豆島で愚放塾を開塾。
「ガンを患ったけれど、今はすごく感謝しています。
人間恐怖症についても感謝しています。自分にとって全部必要なことだった」
人生にとって無駄はない。ネガティブなことも、大切な経験として生きてくる。
「神経をすり減らしてがんばらなくても、自然と乗り越えることができるんです」
自分の可能性を開くための正しい方法、
それを愚放塾で教えてあげたいと木戸さんは言う。
がんばらない、らくしない、ごまかさない
ゆっくりと時間をかけて紡ぐもの
木戸さんは、出身地の山梨で愚放塾を開塾しようと思っていたという。
「いろいろな偶然が重なったのもあるんですが。
自然豊かな土地であるということで、小豆島で開塾することにしました」
演劇ともう一つ、愚放塾の大きな柱である農業を行うのに小豆島は最高の場所。
土と触れ合い、生命の源に立ちかえる。農作業をして得られた自然の恵みをいただく。
新しい土地に移り住み、世間の雑音ではなく、
鳥の声、虫の音、波音に耳を傾けながら、じっくり自分を見つめ直す。
「好き」という感情を大切にして行動し、新しい感性・行動につながる……
愚放塾の基本理念「つなぎなおし」をするために、
小豆島の自然やそこに住む人々が力を貸してくれた。
「将来、ここから、いろいろな人材を輩出したいですね」
そう言って、木戸さんは劇の練習をするワークスペースを見つめる。
「新しいものを発掘するためには、がんばっちゃダメなんです。
ゆっくり、ゆっくりやっていくと、新しい自分につながる」
がんばらない、らくしない、ごまかさない。それが、愚放塾のモットー。
ゆっくり丹念に、人も農作物も世話をすることで、着実に成長していく。
木戸さんの取り組みが、大きく実る日が楽しみだ。