多根果実店 延命真一郎さん
ご主人・延命(えんめい)さんは、お店の場所が変われども、
ずっと変わらぬ“おもてなし”を続けています。
ノスタルジーとやさしい甘さのスイーツに、心癒される物語り。
生まれ変わる国分寺を見つめるお店
創業1932年の新しいお店
夏が終わり、秋が近づく国分寺駅北口周辺は、
2018年度完成予定の大規模な再開発に向けて、
着々と生まれ変わっていた。
北口の駅前に広がる空き地は、もともとは商店街で
多くのお店が立ち並んでいたが、今はもうその面影はない。
生まれ変わる国分寺に
わくわくする気持ちもある反面、
失われていくものがあることに
少しセンチメンタルな気持ちにもなった。
そんなある日―、
私は再開発途中の空き地のあたりを、あてもなく歩いていた。
ふと、何かに呼ばれているような不思議な感覚がして、
向かって右手の道へと、おもむろに入って行った。
何か新しい発見に期待して。
そこには、出来て間もないであろう、
真新しいお店があった。
そのお店は「多根果実店」。
落ち着いた雰囲気の中にも、
どこか懐かしさをただよわせていた。
以前、北口駅前の商店街には、80年以上続く
フルーツとケーキを扱うお店があったが、
確か店名を「多根果実店」といった気がした。
移転してきたのかな?なんて思いながら、
まだ新しいお店の扉を開けて入ってみることにした。
親しみやすさが
溢れる場所
何屋さんかを決めるのはお客さん自身
中に入ると、フルーツに洋菓子、
そしてたくさんのケーキが並び、
甘い香りが私を包み込んだ。
そして、レジカウンター前では、
店主兼シェフらしき人とお客さんが、
まるで話に花が咲いたように、
楽しげに会話をしていた。
ワイルドな見た目に反し、
意外にも気だてのやさしい店主は、
名前を延命(えんめい)さんといった。
そんな彼が作るスイーツは、一体どんな味なんだろう。
それにしても、このお店は「ケーキ屋さん」なのかな?
それとも、多根果実店だから「くだもの屋さん」?
私は、お客さんと話を終えた延命さんに、
聞いてみることにした。
すると、
「何屋さんかを決めるのは、お客さんだよ」
という返事が……。
私は、こんな回答が返ってくるとは思わなかった。
そっか、じゃあケーキ屋さんと思って来る人もいれば、
くだもの屋さんだと思う人もいる。
購入したケーキとドリンクを2階で
食べることもできるみたいだから、
カフェとして利用する人もいるのだろう。
あ、もしかしたら、さっきのお客さんみたいに
気立てのいい延命さんとお話したいから
お店に来る人もいるかもしれない。
私は、もっと多根果実店のこと、
何より延命さんのことが知りたくなった。
世界一のコックさんに
なりたかった
多根果実店と3代目シェフのルーツ
多根果実店は、元々は国分寺北口の商店街で
80年以上も続いた歴史あるお店である。
「多根果実店」というお店の名前は、
現在の店主・延命真一郎さんのおじいさんで、
初代店主の故郷、石川県の「多根村」からとったそうだ。
おじいさんがお店を開いた当時の国分寺は、
人気のない田舎で、殿ヶ谷戸公園周辺には
財閥の別荘地があり、おじいさんは、土地を
持て余していた人から土地を譲り受けたという。
そして、駅前でくだもの屋を営みながら、
お金持ちの家の「御用聞き」を行っていたらしい。
なるほど。元々が歴史あるお店だから、真新しさの中にも、
どこか懐かしい雰囲気と親しみやすさを感じたんだ。
ところで延命さんは、
くだもの屋を営むおじいさんやご両親の背中をみて、
パティシエの道を目指すようになったのだろうか?
私はふと興味が湧いて、聞いてみた。
「パティシエを目指したというより、
くだもの屋だから果物を使ったおいしい料理を
作りたかったんだよ。小さいころは世界一の
コックさんになりたいと思っていたんだ」
そんな延命さんが初めて作った料理は、
カツ丼だという。
小学1年生の時には、すでに自分でカツを
揚げていたというから驚きだ。
なぜ、衣をつけるのか?
油を何度にしたらサクッと仕上がるのか?
子どもなりに試行錯誤しながらも、
彼は料理にのめり込んでいったという。
こうした延命さんの研究熱心な姿勢が、
現在のケーキ作りにも生きているに違いない。
古いものを
大切にしたい
50年続いた隣のバー喫茶
延命さんが多根果実店を継いだのは、2003年。
当初は、「おじいさんの背広を着ている感じだった」という。
この頃から、くだものを使ったケーキも販売するようになり、
駅前にあったお店は、よりいっそうお客さんで溢れたという。
しかし、現在と違って当時は、
ケーキをその場で食べられるようなスペースがなかった。
「ちょうどその頃、お隣の40年近くやっているバー喫茶が
お客さんが少ないことを理由に、
閉店するという話を聞いたんだ」
そこで、隣のバー喫茶「ランバンブンジバー」に、
ケーキを持ち込みできないか聞いてみたという。
延命さんには、“古いものには味があるから
大切にしたい”という気持ちがある。
40年もこの地で愛されてきた古き良きバー喫茶が
閉店すると知って、 いたたまれなくなったのだ。
「お客さんの中には、その場でうちのケーキを
食べたいと言ってくれる人もいたから、 バー喫茶で
ケーキとドリンクのセットメニューを出せば、
バー喫茶にお客さんが増えるし、
お客さんにも喜んでもらえるよね」
また、延命さんが多根果実店を継ぐ前に働いていたお店で
作っていたカレーを 食べたいという人も現れ、
それもバー喫茶で出すようになった。
その甲斐あって、バー喫茶は閉店の危機を回避することができ、
結果、2013年に再開発のための立ち退き勧告を受けるまで存続した。
閉店がささやかれた時から、約10年が経っていた。
延命さんの“古いものを大切にしたい想い”と、
“お客様さんの要望に応えたい想い―”
人のために一生懸命になれる延命さんのその姿から、
地域とのつながりを大切にしようとする人柄がにじみ出ていた。
深夜のオレンジ色のランプ
80年以上親しまれている理由、ここにあり
延命さんとお話をしていると、
時刻は午前0時を回っていた。
延命さんは、1階の購入カウンターの明かりを
オレンジ色のランプだけにして、
翌日の仕込み作業をしながら、 私にこう教えてくれた。
「このオレンジの明かりはね、
ケーキがまだ残っている時は 購入することができますよ、
という目印なんだよ」
こんな深夜に、本当に買いにくる人なんているのかな。
なんて思っていると、続けてこう話してくれた。
「北口駅前でお店をやっていた時も、
出来る限り深夜まで開けていたんだよ。
駅前だったから、会社帰りに立ち寄ってくれる人が
多くてね。それに、深夜にお忍びで来てくれる人もいたからさ」
延命さんは、お店が移転してからも、
深夜のお客さんがケーキを買えるようにと、
オレンジ色のランプを点けてくれている。
延命さんは、きっと、“国分寺駅前の多根さん”として 長い間、
お客さんから親しまれてきたんだ。
だから皆の声に応えてしまいたくなるのだろう。
オレンジ色の明かりは、 まるで、
彼の優しい気持ちを表わすかのように、灯されていた。
再開発により
得るもの、失うもの
国分寺らしさとは何か
国分寺再開発の話は、
50年以上も前から計画されていたという。
2013年に、ようやく着工が決まり、
北口に構えていたお店は立ち退かざるを得なくなった。
「悔しい思いをした」と、延命さんは苦い顔で言う。
「2003年に店を継いでから10年間かけて、
“自分の店”を作り上げてきたのに、悔しかった。
町を新しくするのは悪いことではないけれど、
ともすると、どこも同じような風景になりかねない」
再開発され、大手のチェーンストアが参入すると、
たたまざるを得ない個人経営のお店も少なくない。
便利な町になるのと引き換えに、
その町らしい思い出の風景が失われることも
忘れてはならないのだ。
ちょっと小難しい顔で話す延命さんからは、
在りし日の国分寺に対する愛情が、
ひしひしと伝わってくる。
新しい多根果実店と
新しくなる国分寺
「人を喜ばせたい」シェフの夢
多根果実店がこの通りに移転してから1年が経った。
当初、再開発で新しく建つ高層ビルの中のテナントとして
入店する話もあったそうだが、
あくまでも路面店にこだわり続けた。
なぜなら、延命さんにとってお店とは、
“自分を表わすもの”だから。
古いものへの愛着を持つ延命さんは、
お店の柱、屋根、テーブル…ひとつひとつ細部に
わたるまで アンティーク調にこだわった。
そのためか、移転して間もないのに、 多根果実店からは、
時代を経てきたような温もりを感じた。
移転したら暇になるだろうと思っていた延命さんは、
空いた時間でカレーを作ったり、以前のように
料理をやろうと思っていたという。
「ところが、新しいお客さんがたくさん来てくれるから、
ケーキが間に合わないんだよ」
と嬉しそうに話す一方、 移転したことが
認知されていないためか、昔のお客さんが
あまり来なくなった、と少し寂しそうな表情を見せた。
私は最後に、国分寺の未来について尋ねてみた。
「町っていうのは、経済的な利益ばかりを考えてはダメ。
国分寺をつまらない町にはしたくないからね。
個性を忘れた、どこにでもあるような町になってしまわないよう、
まずは、この店前の道を“下北通り”みたいなおもしろい通りにしたい」
延命さんは、かっこよく私に語ってくれた。
「人」がいなければ「町」がないように、
「人」に求められる多根果実店はきっと、
「町」にも求められている存在なんだろう。
だからこそ、80年以上も国分寺という「町」で
お店を続けることができ、 またこれから先も、
「国分寺に在り続けるお店」として新たな歴史を
歩みだしていく。
そして、再開発の終わる2018年には、
どのような「町」が国分寺北口に存在するのだろうかー。