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山水堂 小林治さん

域に根差し、人を紡ぎ、いつも“そこ”に居て、迎え入れてくれる。国分寺で生まれ育ったその人は、いつもとびっきりの笑顔で、迎えてくれる。山水堂 小林治さんの物語り。

国分寺の街が、今のように発展するずっと前から、
小林さんの文房具屋はこの場所にある
街の様相が変わっても、“変わらない地域”を願って

山水堂 小林治さん の物語り

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街の息遣いを感じて

地域を思い、人を育む

都心から遠くて近い、国分寺。

この街の中心にある、大きな駅ビルを出ると、そこでは何十万人もの人びとが住み、
生活をしている息遣いを、感じる。

そんな街並みを横目に、南西に伸びる一本の道を辿っていくと、
ぼくは、とびっきりの笑顔に出逢うことができる。

『おはようございます』

国分寺で生まれ育ったその人は、地域に根差し、人を紡ぎ、
いつも“そこ”に居て、迎え入れてくれる。

大きな鉛筆型の看板が目印の、やさしい空気に満ち溢れた、

国分寺の案内所となる、その場所で。

「山水堂」小林治さんの“物語り”。

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国分寺の案内所

「山水堂」に流れる空気が、すきで―

目を引く大きな鉛筆型の看板。
入り口には、国分寺が一望できる、大きな地図。
さらに、その時々の地域の催し物案内も―。

ここに来れば、今、国分寺で何が行われているか、
すぐに理解することができる。例えるならば、“街の案内所”。

一歩店内に足を踏み入れると、そこには、
親しみ深い文房具たちがきれいに並べられ、
とても温かい空気が広がっている。

この空気が、みんなを、「またここに来たい」
と、思わせるのだ。

「あ、いらっしゃーい」
いつもの笑顔で、奥さんが出迎えてくれる。

「落研(オチケン)さん、来たよー」
ぼくは、大学で所属する落語研究会の活動を通して、
この場所を知った。

それ以来、「山水堂」には、よくお邪魔しているのだが、
いつも、奥さんは明るい声で、
すぐに、2階で働くご主人の小林さんを呼んでくれる。

そして、ぼくは、最近学校であったことや、
身近に起こったことを話し始める。

小林さんは、いつも笑顔で話を聞き、アドバイスをくれる。

いつ来ても、そんなやりとりが交わせるという、
そんな安心感が、この「山水堂」にはある。

この場所で、こういった交流を重ねていくうちに、
ぼくは国分寺の伝統や文化、街の成り立ちについて、

自然に学ばせてもらってきた。

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文房具屋のにおい

父の背中を見て―

いつも通り小林さんとお話ししていく中で、
就職活動が近付くぼくは、小林さんが、
なぜこの場所に店を構え、働いているのか、
ふと気になり、伺ってみた。

すると、小林さんは、ゆっくりと当時を
思い返すようにして、話しはじめた。

小林さんは大学を出てすぐに、父の文房具店を継いだ。
しかし、昭和32年、小林さんが小学校2年生の頃、
父と共にこの地にやってきた当時は、
自分がこの店を継ぐことになるなど、
想像もできなかったという。

「当時は北口にしか駅の出口はなく、南は原っぱで
何もなかった。北口のことを、何もない南口に対して、
街と呼んでいたんだよ」

そんな時代に、街の発展を目の当たりにしてきた小林さんは、
高校を出たらサラリーマンになりたいと考えていたが、
結局、大学へと進んだ。

家業を継ぐか、サラリーマンか、大学時代は、自分の揺れる気持ちを定める、
“決意の期間”でもあった。

そして、大学を終えて、やはり、父の跡を継ぐことに、決めた。

「結局、背中を見ていたんだ。理屈じゃないよ」

と、小林さんは言う。

いざ継ぐとなると、父の代から引き継ぎ、
さらに発展させねばならない。

借金をし、思い切って店を全面改修した。
そこには、この国分寺という街の中で、この仕事を稼業にしてやっていくんだ、
という決意が表れている。

「人は家に帰るとほっとする。それは家の
“におい”に、安らぎを感じるからなんだよ」

文房具屋には文房具屋の、魚屋には魚屋の、“におい”がある。

そういった小林さんの言葉からは、父の跡を継いで営んできた、
この「山水堂」という文房具屋への誇りが、強く滲む。

文房具屋のとくべつな、“におい”、
皮膚感覚に寄り添うような、懐かしい、“におい”。

それは、ぼくたちが知っているようで知らない、
そこに行かなければ、感じられない大切なもの。

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広がる輪

地域の“すきま”を埋める

「山水堂」を経営していく中で、小林さんは、国分寺の地域活動にも力を入れている。

地域連携推進協議会、商店街連合会、ぶんぶんウォーク……。

再開発が進み、変わり続けるこの街の、中心にいるわけでは、決してない。

しかし周りをサポートし、パイプ役になることで、
人の輪を、豊かに大きく広げていく。

そのように、陰から支えていくことによって、
地域の“すきま”を埋めていき、そうして、より良い街へ。

それが出来る魅力と人望が、小林さんにはある。

南口ができた時のように、この街は、
これから大きな変貌を遂げるかもしれない。

どのように変わっていくか、未来は、
誰にも言い当てることはできない。

でも小林さんのように、心から、
この国分寺という街を、愛し続けている人がいる限り、

きっとこの街は、人の“想い”に寄り添うような、
優しい変化を遂げていくのだと、信じたい。

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万葉から宇宙まで

「山水堂」オリジナル

「山水堂」には、自慢のオリジナル文房具が2つある。
ひとつは、「武蔵国分寺ふるさと一筆箋(いっぴつせん)」
小林さんの想いが詰まった、国分寺市公認の便箋。

「国分寺にはせっかく歴史や文化がある。それを活かして、
商店も独自に考えていかなきゃいけない」

そんな前向きな気持ちを託して、古代・万葉のころの
歴史的資料を印刷した、オリジナル文具・「一筆箋」を制作した。

ただ漫然と経営していくのではなく、南口の商店が
賑わうように、人の流れ、導線をつくりたい。
それが、小林さんの考えなのだ。

そして、これだけに留まらず、もっともっと、
国分寺を盛り上げたい。

そんな想いから、小林さんは時に
JAXA(宇宙航空研究開発機構)をも、動かしてしまう。

国分寺は、日本における宇宙開発の創始者である糸川英夫氏が
早稲田実業のグラウンドで、初めて、ペンシル型の
小さなロケットを飛ばした、宇宙開発発祥の地―。

そのことを少しでも知ってもらうために、
JAXAに掛け合って、「ペンシルロケットのしおり」を
作り上げてしまった。

さらに過去には、向井千秋宇宙飛行士の
講演会を開いたこともある。

万葉から、宇宙開発の時代まで。

人が増え、店が増え、進化し続けていくこの街で、
商店も変わっていかなければならない。

小林さんの目は、まっすぐに、未来へと向けられている。

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安心できる街へ

やさしい、あいさつ

「ありがとうございました」

いつものようにお礼を言い、「山水堂」を後にする。

そうして国分寺駅まで伸びる一本の長い道を歩きながら、
ぼくは考えた。

「再開発が進む国分寺の、辿るべき道は、どこなのだろう」

それは、誰にもわからない。でも、小林さんは、
いいことを教えてくれた。

「お互いが、声を掛け合える地域になればいい」

再開発がどう進もうと、誰もが安心できる街になるために。

一番簡単で、継続でき、誰にでもできること。

やさしいあいさつ、そして、そのあいさつの言葉を、
ぼくたちは、もう知っている。

そう、気持ちのよい、この一言。

『おはようございます』

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