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おばあさんの知恵袋 三田村慶春さん

大学を卒業するまであと2年、ある日私が出会ったのは、とても不思議な本屋さん。店主の三田村さんは、ここで国分寺の今昔をずっと見つめてきた。小さいながらも様々な人の思い出があふれるこの場所で、私はこころのふるさとを感じる。

ここは、単に「本を売る」だけの場所ではない
人と人が出会い、時を共有する場所
そして、「また戻ってきたい」と思わせる場所

おばあさんの知恵袋 三田村慶春さん の物語り

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人はそれぞれ物語りを持っている

地下1階に隠れた、かわいい本屋さん

国分寺駅南口を左に出て徒歩2分、
普通に歩いていると少し気づくのが
難しい場所かもしれない。

国分寺マンションの地下1階に、
「アンティークアヴェニュー」という、
古きよき西洋の雰囲気を感じることのできる店が、
何軒か集まった場所がある。

その中に「おばあさんの知恵袋」という
小さな本屋を見つけた。

レンガ作りの暖かい雰囲気を持つ外観に惹かれて店の中に入ると、
壁に備えつけられた本棚に、むかし読んだ懐かしい絵本が並ぶ。

ぐるりと本を眺めていると、男性が声をかけてくれた。

「いらっしゃい。どうぞ、そこに座って」

優しい雰囲気の男性、この方が、「おばあさんの知恵袋」の店主、
三田村慶春さんだった。

大きな本屋さんも増える中で、絵本を取り扱う小さな本屋さん。
とても興味が沸いた。

このお店のこと、三田村さんのこと、物語として紹介させてください。

こう申し出ると、

「物語ですか。面白いですね。人はそれぞれ物語をもっていて、
誰もがその主人公になりたいと願っているものですからね」

三田村さんはそう言って、話を始めてくれた。

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はじめはドイツ料理店

クルーザー風の内装を持った「船問屋」

元々は国分寺の隣、国立に住んでいた三田村さん。

国分寺にはジャズ喫茶に訪れるために通っていたそう。

いま「おばあさんの知恵袋」となっている
この場所にも、当時は定食屋があったそうだ。

当時のご店主が店をたたむ、と漏らしていたの
を知っていた三田村さんは、 その場所を引き継ぎ、
九州にいたご両親を東京に呼び寄せた。

そうして、ふたりに、この場所でレストランを
始めたいんだ、と打ち明けたレストランオープンに
向けて三田村さんは、毎日、自身の仕事が終わってから、
自宅で料理の研究を重ねたという。

学生時代働いていたドイツ料理店の味を思い出して、
再現するように。そうして1974(昭和49)年の
11月10日、ドイツレストラン「船問屋(ふなどんや)」が
オープンした。三田村さんは店名の由来を話してくれた。

「ドイツレストランだけども、むかし通っていた
大学の先生と話をして、和風の名前が面白いんじゃないかって。
フランスの昔ばなしの中にあるんだけれど、 漁師や船乗りが
長い航海から港に帰ってくると、まず奥さんのところに
帰るんじゃなくて、その前に、ある場所へと真っ先に
足を運んだ。そこは次の航海のための道具を揃えたり、
船の痛んだところを直すための場所で、フランス語で
言えば『ラ メゾン ド マテリエル』というところ。
辞書を引いてみたら『船問屋(ふなどんや)』と書いてあって、
じゃあ、それがいいだろう、ということになったんです」

前の方から引き継いだこのお店の内装が偶然、クルーザーの
ようだったことからも、この名前となったそう。

長い航海から帰ってくる場所、初対面の私たちを優しく
迎えてくれた三田村さんの人柄もあって、ぴったりな
名前だと思った。

あたたかくて、また次に向かって頑張れる、
そんな場所。

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レストランから本屋へ

今までの経験を役に立てて

レストランとしては25年間の時を過ごした「船問屋」は、三田村さんのお母さんが
倒れたことをきっかけに、「おばあさんの知恵袋」へと姿を変えた。

どうして、本屋にしたんだろう?

「学生時代、先輩が作った小さな本屋を
手伝っていたんです。 そして父が亡くなった時、
母を元気づけるために始めたのが、
中国の童話の対訳でした」

幼少期を上海で過ごした母に対訳を見てもらうことで、
気晴らしになれば、と思ったという。

中国語を勉強しているお客さんの力も借りながら、
役所の仕事をする一方で、童話の翻訳を続けた。
そうして生まれたのが三田村さんの著訳書、
「中国の童話(訳本)」(中国・少年児童出版社)。
この本の出版により、三田村さんの仕事は小金井の
図書館勤務へと変わり、 三田村さんは自動車を
使った移動図書館で働くこととなった。

毎週多くの本を積んでまわる移動図書館は、
たくさんの子どもたちを夢中にさせた。

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物語といま、むかし

いまもむかしも変わらない“大切なこと”

生活のスタイルは変わっていく、でも人間のこころは変わらない。

読み聞かせも行っている三田村さんは、
古典と現代の物語をことさらに区別することなく、
その物語の中に描かれた「変わることのない人間の心」を
表現することが大事だと、教えてくれた。

「昔ばなしには、現代にも伝えなければいけない要素が、
たくさん込められている。だからこそ今の世にも、
こうして伝えられているのではないかと思います」

なるほど。 何気なく聞いていた昔ばなしも、
注意深く耳を傾けてみれば、たくさんの教訓が
散りばめられているんだ。また、本屋の経営は厳しいと以前、
聞いたことがある。それに対して、 三田村さんは
「物を売る時代」ではなく、 「それまでの物語を売る時代」だと話す。

便利な時代だ。本屋ならたくさんある。 それどころか、
わざわざ出向かなくても、商品を受け取れてしまう。

でも、他方で、ただ「物を買う」のではなく、
その店で出会った者同士が気持ちを分かち合うこと、
その世界に参加して楽しむこと―、
そういった心の交流が求められている時代でもある。

だからこそ、三田村さんは、
この店を続けるのだと言ってくれた。

その言葉は、とても新鮮に響いた。
私自身もインターネットを使って、
本を購入したりすることがある。

けれど、こうして実際に足を運び、人と関わり、
商品を手に取る―、 そうしたことで出逢った商品にも、
豊かな物語りが生まれるのかな、と感じた。

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こころのふるさと

たくさんの、人と人との関わり

「人には戻れる場所が必要だと思うんです。
だから、卒業して、この地を出ていった人たちが、
ここに戻ってきたとき、心を癒してまた遠洋航海に
出ることができるような、そんな、
こころのふるさとになりたい」

少し照れた表情で、三田村さんは語ってくれた。
レストランをやっていた時に、
ここで出会った2人が結婚したこともあった。

移動図書館をやっていた時に、毎回来てくれていた子が、
大きくなってから、また訪ねてくれたこともある。

テレビで「おばあさんの知恵袋」が紹介されたとき、
番組を見て、連絡をくれた人もいたという。

また過去を振り返り、こんなエピソードも教えてくれた。
三田村さんがレストランをオープンしようとしていた当時に出会い、
親交を持った、あるカップルがいた。
彼らは三田村さんにジャズバーを開きたいと相談したのち、
道路の向こうにお店を持ったそうだ。

そのカップルの男性の方の名は、
あの有名な「村上春樹」さんだという。
驚く私たちに、

「彼の実家へ遊びに行くほど仲がよかったんだよ」

と言って、三田村さんは懐かしそうに微笑んだ。

三田村さんは、この国分寺で、たくさんの人との関わりが
あったことを話してくれた。

今、私は数年しかこの国分寺という街にいないけれど、
何十年も前から現在まで、この場所には、
たくさんの人の思い出がつまっているのだと考えると、
じんわりと胸が熱くなった。

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あたたかい街あたたかい人

形を変えても、変わらずそこに

この街で、レストラン、移動図書館、本屋さん、と、
さまざまに形を変えながらも40年以上の間、
三田村さんはどれだけの人を送り出し、
また迎えてきたのだろうか。

私も、あと2年で大学を卒業する。
そうすれば、この国分寺から出ていくのだろう。
この街を出ていく、今とは違う世界に入っていく、
そんな中で何かに疲れたとき、初心に戻りたくなったとき、
帰ってくる場所があると思うと、素直に嬉しくなった。

この街が変わっていっても、私が変わっていっても、
この街で変わらないものが、変わらない人がいる。

いつか、私が深呼吸したいと、「里帰り」を思いついた時に、
真っ先に国分寺の風景が思い出せるように、
学生としてこの街で過ごす残りの2年間を、 精一杯、
有意義な時間にしていきたいと思った。

笑顔で迎えてくれる人のいる街、国分寺。
わたしのこころのふるさと、見ぃつけた―。

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