「きもの伝承 きずな」三澤広明さん
三澤広明さんの物語り
会津の地で「きもの」を通して、ニッポンを伝える―
そんなひとりの会津人の姿に、こころ、奮える
会津の地より、「きもの」を伝う
「きもの伝承 きずな」三澤広明の物語り
時に華美にして、時に侘び。
「きもの」という、薄い衣の裏側に、
この国の歴史、文化、そして、誇りを見て―。
先の震災の影響が執拗(しゅうね)く残る、
つらく厳しい時節にあっても、
ゆえに一層、声を上げ、
この会津の地より、「きもの」を通して、
会津の元気を、日本の誇りを、伝えていく。
日本の民族衣装たる、「きもの」の普及を、
己(おの)が使命と心に定め、
挑み、そして、行動し続ける会津人―、
「きもの伝承 きずな」三澤広明の物語り。
きっと会津も苦しかろ
会津の地での縁むすび
あの震災が起こった2011年は、
人生の中で、最も泣いた1年だった。
家族を、友人を、たいせつな人たちを守るために、
男泣きに泣いた、1年だった。
自分の夢を傾けた呉服・和雑貨店、
「きもの伝承 きずな」も、
震災がもたらした副次的な影響によって、
深刻な被害を受けた。
家長として、家族を養っていかなければならない、
その焦りと不安の中でも、
しかし、心のどこかで、思うこと。
―きっと、会津も、苦しかろう、
そして、日本も、つらかろう、
なにより、みなの心が、痛かろう。
そうして、2012年、同じ想いを抱く者同士、
三澤さんと「会津物語」は、出逢った。
三澤さんは、今では、コーディネーターとして、
「会津物語」と現地のご縁を、豊かに結んでくれている。
見上げる御城の、その大きさよ
愛郷の芽は健やかに
少年のころ、
暇さえあれば、鶴ヶ城を見上げていた。
荘重(そうちょう)な石垣に、雄大に聳(そび)える天守―、
誰に教わるでもなく、
時の堆積というものの尊さを、
肌で、理解していた。
生家は代々、商人の家系だった。
「丸(まる)に木瓜(もっこう)」の家紋からは、
連綿として続く、ご先祖の存在を、
鮮やかに、そして、重々しく、感じた。
会津の城下町の風景と、旧家の雰囲気―、
そのふたつが、少年の原風景だった。
そして、三澤少年の胸には、
ごく自然に、郷里への愛情が、芽生えていった。
人への感謝の、その気付き
「きもの」文化の入り口に立つ
就職して後、アパレル販売や、食品製造など、
紆余曲折を経、27にして、
己の進むべき道の、その入り口に立った。
必死に仕事をし続け、多くの価値観とぶつかり、
そうして、辿り着いたのは、
少年のころに親しんだ、和文化の世界だった。
「きもの」の商売を、はじめようと思った。
愛着のある和の文化を扱い、商家、三澤家の再興を―、
三澤青年は、青雲の志を抱いた。
しかし、それは、多分に表面的な、
自我の発露(はつろ)だったのかもしれない。
そこへ、東京の恩師の導きがあった。
事業をはじめる前に、世界を1ヶ月強、見て回った。
それから、「きもの」の勉強のため、
車に布団を詰め込んで、全国の着物屋を訪ね、
教えを請うて廻ったりもした。
振り返れば、青年のひとりよがりの客気(かっき)は消え失せ、
全国に、“教え”や“気付き”を与えてくれる、
幾人もの友や師を、得ていた。
屋号の「きずな」、宿る想い
今なお、成長のさなかにあり
「きもの伝承 きずな」を開店し、
会津の地で商売をはじめて、無我夢中のうちに、
はや10年以上の月日が経っていた。
日本全国を巡り、県内外の友や師、
そして、お客さまと出逢えたのは、大きな財産だった。
全国という視点、尺度から、
己の立脚地としての「会津」を、
客観的に見る機会を得ることができた。
そうして、いつしか、表層的な虚飾は影を潜め、
この会津の地で、「きもの」という文化と向かい合い、
関わってくれる人びとに、より一層の深い感謝を。
「きもの伝承 きずな」―、
その屋号に、一切の偽りなし。
それでも、商売する上で、壁にぶつかることもあったろう。
あの震災にも、大きく心、抉(えぐ)られたことだろう。
それでも、折れず、逃げず、誤摩化(ごまか)さず―。
さまざまな迷いはあろうとも、
三澤広明、今なお、成長のさなかにあり。
「きもの」を纏うということ
会津より、日本を謳(うた)う
「きもの」に袖を通し、
博多織の角帯を、“貝の口”に結ぶ―。
さわりと流れるような、三澤さんの着付けは、
まるで「型」を見るように美しい。
この“たわやか”な日本の民族衣装は、
触れるたびに、また新たな感動を生み、
その文化的な豊かさの泉は、
なお滾々(こんこん)と、涸(か)れることはない。
「きもの」を纏(まと)うということは、
ただ、布を被るということでは、決してない。
日本の文化を纏い、歴史を纏い、
先人が培ってきた精神性を纏うということだ。
三澤さんは、願う。
自分が感動をもって、この10年間で得てきた、
このかけがえのない気付きが、
全国の人たちにも、伝わらんことを。
そして、今日もまた、「きもの」から、
新たな感動を得て、伝えるべきは、なお豊かに―。
出逢い、動き、浩がる
一期一会、人との出逢いに感謝して
会津を愛し、日本を想い―、
波紋のように伸びやかに、拡がっていく三澤さんの“志し”。
その根本は、何と言っても、「人」にある。
家族や友人、取引先の方々、そして、一期一会のお客さま。
そういった自分の愛する人たちが、
しあわせになってくれればと、ひたむきに願う。
その愛情の深さゆえ、傷つくことも、多々あった。
誤解されたことだって、一度や二度ではなかった。
そのたびに、傷付いて、もがきもした。
それでも、三澤さんは、「人」を想い、
「行動」することを、やめはしない。
迷うぐらいなら、「動く」。
「会津物語」が三澤さんと出逢い、
そこから、新しい「動き」が生まれたように、
これからも、この会津の地では、
多くの出逢いがあり、「動き」が生じていく違いない。
そして、その「動き」一つひとつが響き合って、
会津の未来は、大きく豊かに、浩(ひろ)がっていく。
「会津物語」に、託したい
感動と覚悟を胸に抱いて
現地のコーディネーターとして、
幾日もの間、大事なお店を留守にしてまで、
「会津物語」の取材協力に尽力して下さった、三澤さん。
個人的な見返りなど一切求めず、
只々、私心なく、会津がよくなるように。
この会津という地域のために、
“よそ者”でしか出来ないことも、確かにあるのだろう。
しかし、真に地域の想いと響き合うには、
やはり、現地における、三澤さんのような、
密な協力者の存在を欠くことはできない。
三澤さんは、取材に際して、こんなことを言ってくれた。
―自分には、何もできないけれど、
それでも、今まで、この会津の地で精一杯生きてきて、
地域の「信頼」と「人脈」を、たいせつに築いてきた。
その財産を、「会津物語」になら、託したい―。
わたしたちスタッフは、心が奮えた。
三澤さんから、命にも等しいものを託され、
そして、会津の懐へと、迎え入れてもらったのだから。
その感動と覚悟、二つながらを、ぐっと胸に抱き、
「会津物語」は、会津の誠(まこと)の声を、伝え続ける。