鞆の浦弁天島花火大会
美しい海と島々の上に大輪の花が咲いて―
さあ、からっと晴れやかに、お祭り気分を味わおう
瀬戸内、初夏の風物詩
そう、もう夏がはじまるのだ
観光鯛網で、鞆の町が活気に満ち溢れる、5月末の土曜日。
瀬戸内に春の終わりと、初夏の訪れを同時に告げる一大イベントが、
この沼隈半島の南端にある、小さな港町で開催される。
―福山鞆の浦弁天島花火大会。
江戸時代のころより、「煙火祭」と称され、
瀬戸内でもっとも早い花火大会としてにぎわってきた、
鞆の浦の初夏の風物詩。
そう、もう夏がはじまるのだ。
ぼくは、少しでも夏気分をと思い、
黒い鼻緒の雪駄を突っ掛けて、ぺたぺたと町を歩いてみる。
うん。瀬戸内の穏やかな気候には、直履きがよく似合う。
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祭に賑わう夕間暮れの港町
浴衣着はじめの季節がやってきた
渡船場の前の県道には、まだ太陽も
沈まない時分から夜店が軒を連ねていて、
いかにも主役を待ちきれないといった風情。
ぼくも、屋台を覗きながら、ぶらり、そぞろ歩いてみる。
りんご飴やいか焼き、ヨーヨーつりに焼きそば、
それに、金魚すくいもあった。
屋台の帯は長く、北はバスセンターから、
南は渡船場の先まで延々と続いている。
売り子の声は高らかに、夕間暮れの港町に響く。
県道沿いは、花火のはじまる前から、
人で埋め尽くされている。
子どもたちは、その非日常の賑々しい雰囲気に顔を上気させ、
観光客らは、花火見物の場所取りと事前の腹ごしらえに忙しそうだ。
弁天島を臨む堤防にも多くの人たちが腰掛けている。
堤防の脇には、弁天様へのお参りができるようにと、
簡単な祭壇も組まれている。
涼しげな浴衣を着ている子どもたちや
女の人たちを、ちらほら見掛ける。
桃色の華やかなものや、黒色の大人びたもの、
それに、黄土色の素朴なものなど、様々な色彩が、
人波に埋もれてはまた現れ、現れてはまた姿をくらます。
浴衣着はじめの季節がやってきたのだ。
そうして祭の熱が十分に高まったころ、渡船場のほうから、
三味線のからっとした明るい「しらべ」が響いてきた。
ぺけぺんぺん。
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お祭り気分―、アイヤ節の節回し
ヨイヨイヨイと、花火の前のひと踊り
その三味線の音に誘われるように、ぼくは渡船場のほうへと足を向けた。
そこでは、おばちゃんや中学生くらいの女の子たちが、三味線を弾いていた。
法被(はっぴ)を着て、ぺけぺんぺんと、撥を弾いている。小太鼓もぼんぼんと、
小気味よく拍を刻む。 歌い手さんもふたりいて、団扇で調子を取りながら、
民謡を高らかに歌い上げている。
―鞆の浦の伝統芸能、アイヤ節。
それから、県道の真ん中に、おけさ笠をかぶった踊り手さんたちが現れる。
紅白の団扇を頭上ではたはたさせながら、ほいほいと踊っている。
波を表したような水色と淡い桃色を重ねた着物も、
鮮やかに目を愉しませてくれる。
アーラ、エライヤッチャエライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ~
チャンカチャンカという鉦(かね)の音もお祭気分を盛り上げる。
地元の中学生たちも、おけさ笠の踊り手さんの後に続いて踊る。
男の子は青色の、女の子は橙色の法被。
踊り方はまだまだぎこちなく、そして、ちょっと恥ずかしげで、
とても初々しい。
そうしている内に、いよいよ日も暮れてきて、
待ちに待った花火の出番が近付いてきた。
人びとは期待を込めて、
今か今かと弁天島の上空をちらちら窺う。
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思い思いの、特等席
濃紫の空に、ぼーんと、ひと花咲いた
ようやく陽も沈み、空が濃紫に染まるころ、ついに花火大会を開催するアナウンスが響き渡る。
屋台の灯りは眩しさを増し、弁天島の周囲の海上には、
特等席で花火を見物しようと、クルーズ船が集まっている。
海沿いのホテルや建物の窓からは、
多くの人たちが一様に顔を突き出している。
県道にいるぼくたちも、みな弁天島の上空を見上げている。
みんな、準備万端だ。
2012年の花火のモチーフは、「平家一門、栄枯盛衰の物語り」―。
さあ、平安浪漫に耽るとしようか。
ひゅるるる~ボンボン。
上がった!はじまった!見物客から拍手と歓声が巻き起こる。
すぐ目の前に浮かぶ弁天島から打ち上げられているのだ。
火の粉が落ちてくるんじゃないだろうかと心配してしまうほどの近さで、
臨場感は満点。文句のつけようがない。
浜風の吹く場所で打ち上げられる花火は、陸や川の花火とは、
やはりどこか印象が違う。肌をなでる潮気や磯の香りのせいだろうか。
とにかくぼくは、ここの花火から他にはない開放感をより強く覚えるのだ。
ライトアップされた弁天堂(福寿堂)と共に、
打ち上げられた花火も海面に映り込む。逆さ花火に、逆さ弁天。
とても、乙だ。
真新しい花火が上がると、わっと歓声が上がる。
みな、思い思いの場所で、存分に花火を楽しんでいる。
その中で、路地の間に挟まるようにして腰を下ろしている
おじちゃんに目が付いた。
「こんなところから見えるの」
と、ぼくはおじちゃんの側に行き、聞いてみた。
あまり上等な見物席には見えなかったからだ。
おじちゃんは、悠々と缶ビールを啜りながら応える。
「向こうは人多いけえの。わしはこのへんでええんよお」
その時にまた、ぼーんと、ひと花咲いた。
あ、ここからでも、ずいぶん良く見えるんだね。
なるほど、特等席だ。
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波打つ「真打ち」登場の期待感
弁天島がすっぽりと煙幕に包まれた
濃紫の空が、いつしか漆色に変わっていた。そして、弁天島の周りの空だけが、
花火の彩りに染め抜かれている。 花火大会がはじまって、
もう一時間近く経ったのだ。
「JFEスチール株式会社」と、協賛会社の名前がアナウンスされる。
すると、見物客の間で、ざわっと大きな感情が波打った。
ぼくは、なんだろうと不思議に思い、周りの人たちを眺めてみると、
どうやら、みな「何か」を期待しているようだった。
ひそやかに、耳打ち声が聞こえてくる。
ある声は、「来るぞ来るぞ」と言っている。
また、ある声は、「トリだトリだ」と言っている。
ぼくは、なるほど、と思った。地元の人なら「JFEスチール」という
アナウンスを聞けば、了解できるんだ。いよいよ、今夜の「真打ち」が
登場する時間が来たぞと。
多分、毎年、この「JFEスチール」が、最後の花火の協賛企業なのだろう。
地元の人たちの共通言語。
そして、その最後の仕掛け花火が派手に打ち上げられる。
海面から花が咲いたかのような水中花火に、息もつかせぬ連発花火。
もちろん、それは今日一番の喝采で迎えられた。
見る見る弁天島は煙幕に覆われていく。
派手で壮大なフィナーレだ。弁天島が燃えてしまいやしないか。
そう心配したのは、ぼくだけではないんじゃないかな。
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花火が連れてきた「夏」の、行き先
祭の後、見物客たちは家路を急ぐ
全国にさきがけて初夏を告げる、「福山鞆の浦弁天島花火大会」。
その一大イベントに相応しいフィナーレを堪能した見物客たちは、
しばらく、その興奮を抱え続けることになる。
祭の余熱を抱えた集団は、これからどこに帰るのだろう。
鞆の浦に、こんなに多くの人がいるところを、ぼくは今日はじめて見た。
だから、ぼくを含めて、ここにいる大多数の人たちは、
鞆の外から来た人たちなのだ。当たり前のことだけれど。
ぼくは、雪駄を引き摺りながら、
興奮冷めやらぬ群集の間を縫って、細い路地へと入り込む。
そうして路地の端っこに座り込み、ゆったりと花火の余韻に浸る。
花火が終わり、見物客たちは家路を急ぐ。
祭の余熱と興奮を抱えながら、ざわざわ帰路に就く。
この花火が鞆の町に連れて来た「夏」を、
彼らが、それぞれのホームに持って帰るのだ。
そうして、日本の各地に「夏」が拡まっていく。
路地の間に挟まりながら、そんなことを想像して、
ぼくは、ひとり頬を緩めた。そうだったら、面白いのにね。