地域に眠るアートを探せ
鞆の津ミュージアムのアートディレクター、櫛野さん。地域に眠るおもしろい作り手を探すことが、自分の任務だと話します。そのひとつ―、鞆の浦のオカンたちが作る”モノ”に注目。それらをオカンアートと名付けて展示すれば、ほうら、すぐに不思議な空間のできあがり。これこそが生の芸術だ!そう熱く語る櫛野さんの、確信に満ちた言葉です。
- [Word]
- 鞆の浦「鞆の津ミュージアム」櫛野展正さん
- [引用物語り]
- 鞆物語 - 町の物語りvol.6「鞆の津ミュージアム」
美しい言葉たち
鞆の津ミュージアムのアートディレクター、櫛野さん。地域に眠るおもしろい作り手を探すことが、自分の任務だと話します。そのひとつ―、鞆の浦のオカンたちが作る”モノ”に注目。それらをオカンアートと名付けて展示すれば、ほうら、すぐに不思議な空間のできあがり。これこそが生の芸術だ!そう熱く語る櫛野さんの、確信に満ちた言葉です。
先の大震災で起こった被害の影響で、会津を訪れる人が激減していた2012年の初秋。裏磐梯の五色沼入り口に佇む瀟洒(しょうしゃ)なイタリア料理のリストランテにて、そのオーナーシェフ・小椋潤さんが語ってくれたひと言です。原発の風評にも動じることなく、安全が確認された地元の素材を美味しく調理することだけに、真っ直ぐ取り組んでいく。そんな当たり前の努力を続けていくことが大切だと語る小椋シェフの言葉には、イタリア料理のシェフとしての、そして、ひとりの会津人としての強い意志が込められています。
瀬戸内海に面する港町・鞆の浦で「鞆町カフェー/454」を営む倉田さんと、同じく「カヤッカーズカフェ」を盛り上げる門田さん。同業者でライバル関係にあるはずの2人を繋げてくれたのは、デザイナーの桑田さんでした。大胆な「鞆の浦 イタリア化計画」のコンセプトの下に、いたずらに対立図式を描いて「競争」するのではなく、3人で共に町を慈しみ、良い「変化」を起こしてゆく―。上の言葉が予感させる新しい鞆の町の姿には、清々しい希望が満ちあふれています。
会津若松は七日町、桃色の暖簾が揺れる工房「鈴蘭」では、新鮮な命が吹き込まれたかのような、新しくて可愛い会津漆器が飾られています。その漆器をつくっているのが、若き塗り師の鈴木あゆみさん。日常から漆器が切り離されつつある今の世の中、会津漆器という文化のために、自分に何ができるだろう?そんな自問の中から、あゆみさんが導き出したのが上の力強い言葉。時代と共にやわらかく“かたち”を変えていき、今を生きる人びとに使ってもらうことで、文化は脈々と生かされていきます。だから、変化を拒まず、人に親しまれる「身近な漆器」づくりを―。この言葉からは、時代の新しい風を掴もうとする、彼女の闊達なこころと、会津漆器を愛する想いが心地好く感じられます。
毎年5月に鞆の浦で行われる、かつての伝統的な鯛網漁を再現させた「観光鯛網」。そんな「観光鯛網」に、備後赤坂から鞆の町に通いながら、ガイドとして参加していた吉平さん。本当は1年で辞めるつもりでいた彼女をこの「鯛網」という行事に繋ぎ止めたのは、“物”ではなく、町の人々との交流を通じて得ることのできた、あたたかい“つながり”でした。そうした“つながり”を実感することで生まれた感動や物語りを、今度は吉平さん自身が、歴史の中に生きるひとりとして、わたしたちに語り継いでくれています。
介護が必要な方にあたたかい居場所を―、
その真っ直ぐな想いでつくられた「鞆の浦さくらホーム」。
羽田さんはこの“やさしい家”での営みを通して、地域のコミュニティと深く心を交わしてきました。
そんな羽田さんが、鞆の浦に住む人たちのことを思いながら語ったひと言。
その「言葉」には、鞆の浦の町と人への、深い感謝の想いが滲んでいます。
先の震災の陰伏的な被害に苦しめられてきた会津にあって、
その中でも下を向かず、会津の「食」に挑み続けているひとりの会津人がいます。
武者煎餅などで有名な「オノギ食品」の小野木國一社長。
様々な苦難や哀しみを経験しながらも、それでも健やかに上を向いて挑み続けてきた小野木社長が贈る、会津に、福島に、そして日本に向けての清々しい激励の言葉。
瀬戸内の要港・鞆の浦には多くのお寺があります。その中のひとつ、臨済宗の正法寺。
このお寺を訪ねると、きりっと背筋の伸びた栗原住職がお出迎えしてくれます。
その栗原住職が毘沙門天像の前で唱えた真言―、それが、上の言葉。仏さまは自らの写し鏡。
厳しい表情を湛えた毘沙門天は、教えてくれています。あなたもこんな顔をしていないかい。
さあ、笑って笑って、と。
会津藩祖・保科正之公の頃より会津の地で信仰を集めてきた由緒正しい大龍寺。
慶びの山・慶山にあって、人も動物も自然も、みんなざっくばらんに自然体。
そこでひときわ笑顔柔らかなのは、寺守の宮子さんです。
人との“お別れ”に立ち会う機会の多いお寺での日々の中、
どこまでも“生”を肯定して、「喜べ、よろこべ」と教えてくれました。
人を喜ばせ、自分も喜んでー。
瀬戸内に浮かぶ小豆島。
その島で笑顔を咲かす島の語り部として様々な地域活動を行う「株式会社459」の真鍋さん。
リーマンショック、東日本大震災を経て、新しい“幸せのカタチ”を求め小豆島に移住し、
島からローカルでパーソナルな“ふるさとの価値”=“日本的なもの”を発信し続ける真鍋さんの言葉は、
私たちに新しい町づくりの在り方を示してくれています。
東京・国分寺の商店街を歩いていると、大きな鉛筆型の看板が目印の、街の文房具屋さん「山水堂」の前を通りかかります。上の言葉は、
国分寺の街の変遷を見守ってきたご店主・小林さんが、地元・東京経済大学の学生に語ったひと言。文房具屋には文房具屋の、魚屋には魚屋の“におい”がある。
地域に根ざし、皮膚感覚に寄り添うような懐かしさを思い起こさせてくれる言葉です。
会津の穀倉地帯・門田の庄にあって、会津の名酒「会津娘」を醸す高橋庄作酒造店。
会津の水と米を使い、この地に伝わる手法で酒を造る。
そんな「土産土法」を信条に、一徹に酒造りと向き合う高橋亘杜氏の言葉。
人生の岐路に直面した際には、どんな痛みを伴おうとも「会津人」であることを選ぶ。
郷土を愛し、先人に誇りを持つ高橋杜氏のそのひと言には、只々、心奮えます。
黒壁に、通り土間のある風景。
そんな江戸時代の町家建築がしっかりと保存されている「鞆の津の商家」。
そこで案内をしてくれたふたりのおばちゃんが、少女のように笑いながら語った言葉。
おばちゃんたちが話してくれた「昔むかしの鞆語り」からは、おふたりの鞆の浦への愛情が溢れていました。
そんなおふたりが鞆の風景を語ったひと言には、万感の想いが込められています。
会津の奥座敷・東山温泉にふわりと佇むお宿があります。時がゆるりと歩む場所「いろりの宿 芦名」。
その懐かしくも上質な風情のお宿にて、自然体の飾らない笑顔で、
”ほんもの”のおもてなしをしてくれるのが、和田女将。
その和田女将に震災後のことを聞いた時に、ほろりと語ってくれたのが上のひと言でした。
つらくても項垂れない、会津女人の凛とした美しさを感じます。
鞆の町を歩いていると、蔀帳を大きく開け放った町家・澤村船具店と出逢うことができます。
そして、そこから町往く人を優しく見守っているのが、澤村のおかあさんです。
岡山からお嫁に来たおかあさんは、鞆の受け皿に優しく包まれて―、
その時のことを思い出しながら語ったのが上のひと言。
今日もおかあさんは、人への感謝を思い遣りに変えて、地域や旅人たちに巡らせています。