淀媛神社例祭
その例祭は八月、暑い最中にやって来る
豪快な神輿廻し、七夕飾りが目に鮮やか
祭りの始まり
厳粛な雰囲気の中で
8月の初め、ぼくは鞆湾の南、平(ひら)地区の方をあてどもなく歩いていた。
気温は30℃を超えていたけれど、それでも、鞆の浦の空気はどこか涼やか。
午後の陽射しを背中に受けて歩いていると、ひとつの神社を見つけた。
―淀媛神社。
鞆港の入口の丘の上にひっそりと鎮座している。
その神社の鳥居から延びる石段に、人だかりができている。
気になって、石段を上がり、拝殿前まで行くと、そこでは、
神主さんが祝詞(のりと)を上げていた。
神主さんの後ろには男の人たちが座っていて、静かに聞き入っている様子だ。
その厳かさに、ぼくの足は一瞬止まってしまう。
拝殿にはいくつかの神輿が安置されていて、神主さんは
丁寧に神輿の中に手を入れる。神さまの依代(よりしろ)を
神輿に乗せているのだ。
ぼくはそれを見てはっきりと確信した。
ああ、祭りが始まるのだな、と。
神輿、出発
目を奪われる立ち廻り
ぼくは祭りが始まる気配を感じながら、しばらく待つことにした。
神主さんの祝詞はまだ続いていて、ぼくはそれに、じっと耳を傾ける。
そうしているうちに、石段の下から、たくさんの人の声と足音が響いてきた。
大人も、子どもも一緒くたになって、楽しそうな笑い声とともに、
その姿を見せる。みんな青や水色、紫の揃いの法被(はっぴ)を着ている。
神社はあっという間に、人で埋め尽くされ、ちょっと動けないくらいだ。
神社を包み込む熱気。祭りだ、いよいよ祭りが始まるのだ。
拝殿にあった黒と金の神輿を、左右5人ずつくらいで運んでいく。
とても重そうだけれど、そんなことは微塵も感じさせないくらいに威勢がいい。
ダダダダンダン! ダダダダンダン!
小気味良い太鼓の音に合わせて、神輿が廻る、廻る。
鞆の風にたなびく短冊
願いをこめて
ひとしきり境内にて、その姿をお披露目したあと、神輿は町へと向かっていく。
ぼくはもう、祭りに夢中になっていて、神輿を追いかけずにはいられない。
ダダンダン! ダダンダン! ダダンダン!
町に出ると太鼓のリズムも変化し、さらにこちらの気持ちを高ぶらせてくれる。
神輿のあとについて、町を歩いていると、ふと風景に、
見慣れないものがあるのに気がついた。
笹の葉が町のあちこちに立てられていて、そこには色とりどりの
短冊が結ばれていたのだ。その光景、七夕に他ならないではないか。
近くを歩いていたおじさんに聞いてみる。どうも、このお祭りは旧暦の
七夕と重なっているみたいで、今日のために200本の笹が街頭に立てられたらしい。
願い事、天まで届くだろうか。
きっと、届くだろう。こんな素晴らしいお祭りを、
神さまが見逃すはずはないのだから。
そして、海際へ
こんなにも、自然を肌で感じられる
平の町を進んでいくうちに、海に近い場所へ出る。
神輿を担ぐ人たちは、まだまだ元気いっぱいで、彼らの足元では砂埃が舞うほどだ。
一方、子どもたちは、お祭りはひと休みといった様子で、
波打ち際へと駆けていく。
好奇心を刺激されたら、どこだって子どもの遊び場になる。
少し歩き疲れたぼくも、適当なところに腰掛けて、海と見つめ合う。
海の色と空の色はほとんど同じで、どちらも透き通るような水色。
祭りの喧騒を耳にしながら、その爽やかな景色を眺める。
何だか海や空がとても近く感じられるけれど、それは今日がお祭りという、
特別な一日だからかもしれない。
お祭りの魔法にかかれば、普段は見られない、
別の表情をした景色が覗けるというわけだ。
歴史ある、だんご
別名「だんご祭り」
祭りをゆったり眺めていると、ぼくと同じように、見物している人の口から、
「だんご」という単語が、たまに漏れ聞こえてくる。
―だんご?
ぼくは不思議に思い、近くにいるおばあさんに話しかけてみると、この祭りの
前日には特別なだんごを作るのが、習わしなのだと教えてくれた。
餡(あん)を餅の中に包むのではなく、餅の真ん中に窪みをつけて、
その窪みの上にあんこをのせる。平地区独特の祭り団子だ。
このことから、この「淀媛神社例祭」は、「だんご祭り」とも
呼ばれているらしい。
少子高齢化の影響で、作る家庭が減少しているらしいけれど、近年、継承を目指して、
若い人たちに伝えていこうという動きが、活発になっているようだ。
一度は絶えかけていた伝統が、住民たちの想いによって、後世へと繋がっていく。
江戸時代から始まったとも言われる、この習わし、
ずっとずっと続いていくと、いいな―。
祭り、極まって
神輿よ、廻れ、廻れ
日が傾く頃、祭りはいよいよ盛り上がる。
金の飾り神輿に黒の廻し神輿、それに、子ども神輿の3基。
人びとは、それらを力強く廻していく。
勇ましく、躍動感のある光景に、ぼくの胸は打ち震える。
鞆の浦の、瀬戸内海の有様を体現しているようで、
そこには一種、霊的なものが降りている。
ぼくは当日、祭りがあることすら知らなかったけれど、
それでも、この熱気に飲み込まれ、たまたま隣り合った人たちとだって、
顔を見合わせ、一緒に笑うことができた。
祭りは2日間に渡って行われる。
1日目は3時間ほど練り歩き、夜は祭囃子(まつりばやし)の音が、
どこからともなく聞こえていた。2日目も同じくらいの日程で、
夕方には終わりが告げられた。
―今、僕は机に向かって、この物語りを綴っている。
目を閉じると、神輿や人びとの笑顔、それに、笹の葉の揺れる様子が、
瞼の裏に、まだ残っている。