宝雲山 大龍寺
ここには、格式高い寺のイメージを覆す
やわらかな笑い言葉があふれている
時の移ろい、 笑顔で廻る
「宝雲山 大龍寺」の物語り
会津藩祖・保科正之公が、山形より、この会津の地に転部してきた際、
共に入府してきた、由緒正しき御供寺、
―「宝雲山 大龍寺」。
あの戊辰の戦火にも焼かれることなく、過客の如き時の流れを、
ぽかりと留めて―。
三七〇年もの長きに亘り、慶びの山、「慶山」の地にあって、
会津の豊かな自然を、廻り廻らせ、お寺が、人が、動物が、
飾らず、てらわず、自然体。
格式の高き内にも、ざっくばらん―、笑声響く、「大龍寺」の物語り。
時の保管庫
歴史留める寺宝たち
会津の霊場として名高い「大龍寺」には、堆積する時と共に、多くの寺宝が遺る。
―「宝雲山 大龍寺」。
本堂には、鶴ヶ城籠城戦で婦女子を指揮した、照姫の駕籠が、大切に保存されている。
装飾は控えめ、漆塗りの竹造り―、最後の会津藩主・松平容保公の側室・佐久の方は、
この慎ましい「女乗物」に乗って、「大龍寺」に入り、容大公を産んだという。
また、離れの「資料館」では、幕末の三舟や佐久間象山、そして、三条実美など、
歴史上の偉人たちの書画を、綺羅星の如く展示。
これらの寺宝に加え、 「大龍寺」の、伽藍、境内そのものが、 会津の歴史、
その記憶を、しかと今日に留めている、 もの静かで、大らかな、時の保管庫―。
墓碑銘、宿る想い
先人たちが、静かに眠る
「大龍寺」の敷地は、浩い。
そして、その起伏あり、隘路ありの境内の中には、歴史上、
名を成した多くの人物たちが、静かに眠っている。
「武家礼法の祖」と言われる小笠原長時や、 小説「天地明察」にも登場する
和算家・暦学者、安藤有益、 それに、幕末の、会津藩軍事奉行、林権助。
さらに、慶山の鬱乎とした木々の下、 すっと佇立する、墓標が一柱、
―山本家之墓所。
山本八重(後の新島八重)が、 散在していた先祖の墓を、「大龍寺」に合葬し、
自ら筆を執って、この墓碑銘を刻んだ。
特に鷹揚に筆を走らせた、末字の「所」の字には、 晩年の八重の、
故郷や先祖に対する万感の想いが、 込められているように思えてならない。
八重は、この碑を建立した一年の後に、 遠く離れた京都の地で、
その激動の生涯に幕を閉じている。
人と動物と自然と―
豊かに豊かに、花増える
八千坪にも及ぶ広大な敷地にあって、 「大龍寺」の自然は、生命力に充ち満ちている。
四季の移ろいは、明瞭にして美しく、 豊かな色彩が漲溢している。
夏は青葉に、秋もみじ、 冬はしんしん雪白く―、 そうして春になると、
水芭蕉が一番に目を覚まし、 その香りを、桜へと受け渡す。
慶びの山、「慶山」の麓にあって、 自然も生き物たちも、よろこんで―、
「大龍寺」の境内には、 豊かに豊かに、花増える。
そして、人も動物も垣根なく、 ご~んご~ん、方丈さんの晩鐘と共に、
ねこもカラスも集まって、今日も、にぎやかな晩ご飯の時間が、
はじまり、はじまり―。
普段着のお茶会
心調和し、笑い逢い
歴史深く、格式高い「大龍寺」だが、 訪れてみると、
実に牧歌的で、空気やわらか。
寺守の宮子さんの、 その飾らない笑顔に触れると、
名刹のお堂は、早や、郷里の居間に変わる。
その悠たる空間で、何気なく披露してくれる、
煎茶道・方円流教授の、お手前。
花鳥風月を佳く愛でて、 心のままに、気のままに―。
人を相手どっては、 「型」を感じさせない「型」をもって、
「形」ではなく、「心」に依る、おもてなし。
伝来の餅菓子や、庭の畑より採れた手作りの漬け物、
その温かみのある味が、胸にやさしく沁みる。
人と人、心と心が調和する、 ざっくばらんな、普段着のお茶会。
ことばで、笑う
人生は笑えるほうが、おもしろい
宮子さんは、“ことば”で、やさしく遊ぶ。
本堂玄関の小階段は、どたばた踏みしめると板が歪む。
そこで、「愛のかけ橋」と、名付けてあげる。
沓脱ぎ場にある壷は、可哀想にゴミ箱扱い。 そこで、「愚知壷」という名札を添えてやり、
ゴミの替わりに、人の愚痴を受け止めるという、 尊いお役目を与えてあげる。
「お堂ではお静かに」や、「ゴミ捨てお断り」といった、 依頼や、禁止ではなく、
おかしみによって、やわらかく人の心を動かす。
「大龍寺」の境内、そこかしこで見られる、 宮子さんの、微笑ましい“ことば”の数々は、
お寺そのものの「声」のように、私たちの耳に届く。
宮子さんの“ことば”は、 高齢者施設のレクリエーションや、交通安全運動など、
地域のボランティア活動においても、活き活きと響く。
おじいちゃん、おばあちゃんに楽しんでもらうのも、
交通安全を促すのも、みんな、いっしょ。
楽しいことを考えて、それを“ことば”にする。
そう、人生は笑えるほうが、おもしろい―。
しあわせの感じるほうへ
お寺って、いいな
今でこそ泰然と、笑顔を絶やさない宮子さんだが、 「大龍寺」にお嫁に入ったころは、
お寺での生活に、つらさを覚えたこともあった。
―訃報に多く接しなければならない。
一緒にお茶を飲んで、笑い合った檀家さんが、
あちら側へ旅立っていくことだって、勿論あった。
しかし、ある日、精進料理を作るために、境内の庭や畑へ、
蕗の薹や土筆を採りに行った時のこと、宮子さんは、
亡くなった檀家さんのお墓の前を、 ふと通り掛かった。
その瞬間だった。 考え方が、くるり、改まった。
―ああ、この人はずっとここに居るんだ。お寺って、いいな。
しあわせだな。
ものごとは何でも、表裏一体、考え方次第。“しあわせ”の感じるほうへ、
さあ、目を向けて―。
宮子さんは、それ以来、境内を歩きながら、お墓の下に眠る“友だち”たちと、
笑顔で、楽しげなあいさつを、交わしている。
人によろこび、来るを願う
宮子さんの好きな“ことば”
「大龍寺」にお嫁に入り、方丈さんの生き方を、陰日向に支える宮子さん。
宗派問わず仏さまをお預かりする、「三重塔」の建立や、境内の高所にあって、
お茶や景色を楽しめる、「半睡庵」の建設など、方丈さんの、住職としての、
そして、男としての夢。
そんな「夫」の夢を、笑顔で支え続ける、「妻」としての宮子さんは、
どこまでも、大らかに、人の生というものを肯定している。
そんな宮子さんの、好きな“ことば”―。
―よろこべば 喜びたちが よろこんで喜びつれて よろこびにくる
宮子さんは、この“ことば”そのままに、出逢いの一つひとつを、たいせつに、
一人ひとりをよろこばせ、人によろこび、来るを願う―。