お手火神事
火の滝を浴び、地を踏みしめて、
巨大なお手火を担ぐ氏子の姿、圧倒的!
清めの神火、お手火神事
集う人々、高まる緊張
日中のうだるような暑さも一息ついて、日もかげり始めた午後六時ごろ。
山際にある神社に人が集まり始める。
お祭り独特の、あのソースの焦げるにおいと、賑やかな空気に誘われて、
心そぞろにぼくは境内へ入っていく。
―沼名前(ぬなくま)神社、お手火神事。
いつから始まったのかはわからないけれど、神輿渡御(とぎょ)のためのお清めと、
氏子の厄払いのために、何世紀も前から続いてきた祭事だ。
境内に入ってすぐに目に付くのは、三本の巨体な松明(たいまつ)。
しめ縄に囲まれてものものしい雰囲気。
高さ四メートルもある木の束に、ぼくは圧倒されてしまう。
子どものねだる声、金魚すくいに興じる人たちの歓声、
モーターの回転音―。
そんな音の渦中に、いつの間にか太鼓の音が混ざり始める。
一番太鼓が鳴り始め、境内の空気がすこし変わる。
お手火を担ぐ氏子たちが徐々に集まって来た。
神火がともされる前
「神前手火」の準備
まず行われるのは、三本の大手火に、神火をともす神前手火。
男たちが白装束を着て、大手火の前まで大階段を駆け下る。
神事で最初に盛り上がる場面だ。
この神前手火の奉仕者(担ぎ手)を、務めたこともあるという府木さんが、
横に来て色々教えてくれる。
―とくに緊張せえへんかった。
あっけらかんと府木さんは笑ったけれど、やっぱり緊張する人も
いるんじゃないかな、とぼくは思う。
沼名前神社保存会の方々が用意した衣装に身をつつみ、
閉めきられ、一点の明かりもない本堂内で、
宮司の火打ちが終わるのを待つ。
太鼓の音は鳴り続いている。
担ぎ手たちの口内には、酢のかおりがよみがえっていただろうか。
神事の前に食べるのが伝統の、タコときゅうりの酢の物。
食べる理由は諸説様々だけれど、府木さんの説は、
―神社の紋ときゅうりの断面が似ているから。
うん、なるほど、たしかに似ている。
駆け下る炎
大手火に火とともす神前手火
―ほとんどぶっつけ本番じゃったな。
教えられたのは担ぐ順番だけ。それでも緊張しなかったと言う府木さんは何とも豪胆だ。
本殿の扉が開かれる。
白装束の男たち―、警護役と神前手火を担ぐ奉仕者たちが、
見物客に囲まれた大階段を一気に駆け下る。
おお! という掛け声とともに、奉仕者たちの背に担がれた火が、
夜の境内にひとすじ赤い線を引いた。
―砂利が痛かった。
と府木さんは、お役を担った当時を思い出しながら、ぼくに言った。
男たちは靴を履かず、白足袋姿だ。地面の凹凸をじかに感じて走る。
火の粉を撒き散らして駆け下る神前手火、三つの大手火がその神火を受け継ぐ。
今、奉仕者たちの手によって大手火に火が灯され、そうしていよいよ、
今度は氏子たちがこの巨大な炎を背負う。
清め、祓う炎
境内を進むお手火の炎
氏子たちの背に乗っているのは、二〇〇キロを超す木の束。
それが掛け声とともに、ゆっくりとゆっくりと境内を進む。
ときおり、お手火が上下に揺さぶられ、そのたびに、赤い火の粉がぱっぱっと散る。
辺りを清め、魔を祓う火の力―。
氏子にもお手火にも、水が盛んにかけられる。火は消えないのか、
とぼくが聞くと、―最後まで燃え尽きないように、うまく加減しとるんじゃけ。
と府木さんは教えてくれた。
燃えさかるお手火の炎は、闇夜に凄まじい明るさを発し、
その光は煙までも黒く輝かせる。
お手火の下、氏子たちの表情も凄まじい。
大松明の重さと火の熱気―、その過酷さを想像して、ぼくは身震いする。
火から肌を守るために被った綿の服は、
水をたっぷりと含んでいる。
氏子たちの肩からは湯気がもうもうとたちのぼり、―オーラ チョイトー!
の掛け声が一層高く、本殿から流れる太鼓とともに、夜空に響く。
燃え尽きるお手火
神事のクライマックス
お手火は四十五段の石段を登る。
神前手火と違って一気に駆けるようなことはなく、
一段一段、丁寧に祓い清めていく。
激しく燃えるお手火のまわりにあつまった提灯が、
担ぎ手の濡れた顔を照らし出す。
本殿を目の前にして、氏子たちの顔から滴るのは、
水なのだろうか、汗なのだろうか?
とりつかれたようにお手火を揺さぶる姿に、
ぼくの肌には、いつの間にか鳥肌が―。
本殿前までたどり着いたお手火は、しばらくの後に水をかけられ鎮火する。
すごい! ほとんど燃えてしまっている。四メートルもあった木の束は、
そのほとんどが炭になっていた。
そして、燃え果てたお手火は、リヤカーに乗せられて、
夜の闇へと消えていった―。
お手火を担ぎ続けて
「魚壱」府木さんとお手火
「魚壱」府木さんとお手火
―最後の五段が、足が上がらんのよ。
府木さんはそう言って、大手火の担ぎ手である氏子の大変さを語る。
高校生のころから担ぎ手を経験していた府木さんは、
現在「魚壱」を経営して、地元の海産物を売っている。
十年間、大阪の寿司屋で働いていた腕は、地元の人にも
「ここの寿司は絶品」と言わせるほど。
現在でもいろいろな新商品を作っては販売している。
「新作だよ」とぼくにくれたのは、ギョロッケバーガー。
魚を使った揚げ物を、バンズで挟んだ力作だ。
現在の趣味は神社巡り。―この間は出雲に行ってきた。
やっぱりお手火神事が身近だったことが影響しているのかな。
ぼくがそう聞くと、どうだろう、というように、からからと笑った。
町は炎の名残をとどめ
清め終わり、神輿渡御へ
ギョロッケバーガーをぱくつきながら、ぼくは、祭りの翌日の町を歩く。
肉とは違う、魚ならではのうまみが、小腹がすいたおやつ時にはたまらない。
道のところどころに黒と白の灰が落ちている。
参拝者が持ち帰った小手火から落ちたのだろう。大手火から小手火に火を移し、
それをお守りにする習慣が、この地域にはある。
お手火神事から一夜明けた沼名前神社には、まだ屋台が残っていて、
何やら準備をする人の影も見える。
そういえば、今日は神輿渡御だったな。
神事はまだ終わっていないんだ。昨日のお手火は今日のためのお清め。
本番はこれからなのかもしれない。
それにしても凄かったな―。
ぼくは闇夜に燃えたぎる炎を思い出す。
心なしか、木のはぜる音がした。