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鞆の津の商家

伝統産業の在りし日
鞆の津の商家の物語り
福山市の重要文化財「鞆の津の商家」
江戸時代末期に建てられた町家には、
往時の商業町を偲ぶ貴重な品々があった

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「坂ノ上」の、黒壁の商家

上品に黒で着飾った、 美しい鞆の町家の一典型

鞆湾の北東からすっと伸びる県道を、
北に向かって進む。

少しばかりの上り坂になっていて、
その起伏が心地よい。

そうして、坂を上りきった先に、
黒い壁の立派な町家が見えてきた。

―福山市の重要文化財、「鞆の津の商家」。

主屋と土蔵が隣り合って並んでおり、
その黒壁の風合いも相まって、
ぼくはその町家から、ある種の
品位のようなものを感じた。

二階の壁をうがつ白い縁取りの
虫籠窓(むしこまど)も、
墨色の壁に鮮やかに映えている。

玄関先の石段を上がり、
ぼくはこの「坂ノ上」の町家の敷居を跨いだ。

さあ、ここには、どんな
「物語り」があるのだろう。

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まるで江戸時代に迷い込んだような

保存される近世的な町家建築 ―「通り土間」のある風景

ぼくは、商家の土間に足を踏み入れて、
屋内を一望する。

ぼくが立つ「店の間」から、
まっすぐ奥へと土間が伸び、
「中の間」「奥の間」と一列に並んでいる。
「通り土間」のある三間取り。

近世的町家のひとつの典型を見た心地がした。

「店の間」の板敷きには、古い船具だろうか、
それとも、商売に使った道具だろうか、
とにかく、無骨にも映る鉄製の小物やら、
時を経た調度品やらが並べられていた。
番頭が座る帳場もあり、その帳場格子の前には、
商家らしくそろばんが置かれていた。

「中の間」には火鉢や箪笥階段などもあり、
まるで江戸時代に迷い込んでしまったかのような
錯覚を覚える。

屋内をぐるりと見回してみる。柱や梁、
それに天井板に至るまでもが黒塗りで、
洗練された高級さを感じさせる。

ぼくは思わず、はあとひとつ、感嘆の息をはいた。
その時、「いらっしゃい」とぼくに声を掛ける人がいた。
振り向くと、そこにはふたりの
おばちゃんが仲良さそうに立っていた。

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鞆の商家のふしぎなふしぎな商売道具

魚をこういうふうに、天秤使って量ってたんじゃよ

そのふたりのおばちゃんたちは、
「鞆の津の商家」のスタッフさんだった。
ぼくは、「こんにちは」と挨拶した。
すると、にこやかな笑顔を返してくれた。

「ここには色々と珍しいものがあるね」

「そうじゃろ」と、ひとりのおばちゃんは答えた。

「ここはね、江戸末期に建てられたの。
最初は呉服商。そして、明治の二十七年から、
こういう麻で編んだ魚を取る網、
網なんかを作って売ってたんです。
この建物の前の駐車場が工場だったの」

おばちゃんの指差す壁の方に目をやると、
たしかに網の束が吊るされている。

「投網を専門に作ってたの?」

ぼくがそう聞くと、今度は、もうひとりの
おばちゃんが教えてくれる。

「それと船具とかの鉄工品ね。
こんなふうな物も作ってた」

またもぼくは、おばちゃんの指し示す
板敷きのほうに視線を移す。

そこには、「矢じり」のような「くない」のような、
ごつごつとした鉄製品がごろりと転がっていた。

「これは、銛(もり)かなにか?」

「これは、こうしてね……」

おばちゃんはそう言って、板敷きの上に
並べられていた五十センチほどの棒を手に取り、
その先端にぶら下がった皿の上にさっきに
鉄製品を置いてみせた。

「あ、秤の重り!」

「そうそう。重い物、例えば俵とか大きな魚とかね、
そんな物を量る時には、もっと大きな秤を使います。
男の人が棒の両側を肩に担いでね、量るん。
三十貫とか五十貫とか。
で、その場合の重りは、こっちの分銅」

おばちゃんたちがふたり掛かりで担いで
来てくれた大きな天秤の棒には、なるほど
分銅が垂れ下がっている。

せいぜい十五センチくらいの背丈の分銅だった。
意外に小さい。ぼくは疑問に思って聞いてみる。

「その分銅ってそんなに重たいの?お米量るほど?」

「重い重い!」

おばちゃんたちの声がぴったり重なった。

ぼくは、微笑ましくなって、くすりと頬を
緩ませながら、ためしに分銅を持ち上げてみた。

重い!
そんなに大きくないのに、とても重い。
「重たいじゃろう」と、おばちゃんたちは笑い、ぼくも笑った。

「昔な、小売のおばあちゃんが、魚をこういうふうに、
天秤使って量ってたんじゃよ。
重り置いて水平になればいいんじゃけど、
少しずるいおばあちゃんだと、秤の真ん中ずらしてね、
少なく売っとる人なんかもいてな」

「ちょっと目方をずるするんだね」
 ぼくたちは、今度は三人で声を重ねて、笑った。

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鞆の産業は鍛冶と漁業

がっちゃんがっちゃん ―今に残る鞆鍛冶のなごり

ぼくはまた、店土間の板敷きの上に
転がっている見慣れない鉄工品を見つけた。
そして、好奇心がうずき、再度、
おばちゃんたちに「これはなあに」と尋ねてみる。

「これは、艪(ろ)を通して固定するものじゃね。
固定具。昔は艪を漕いで大きな帆掛けで風を受けてね、
すーっと港から出て行ってた」

その言葉を受けて、もうひとりのおばちゃんが付け加える。

「この人は鞆港の近くの平(ひら)の人でね、
で、わたしは沼名前神社のほうで育ったんよ。
お寺とお宮のある寺町通りのほう。
鞆の北側には鍛冶町いうのがあってね、
わたしの父はね、鉄工所に勤めてたんです。
でね、こういうもの作っとった」

そうして、その艪の固定具を拾い上げながら、続ける。

「鞆の産業は漁業と鉄工。鞆は漁業と
鉄工でもっていたところです。
鉄工所、今もあるけど、ちょっと元気ないね。
昔は町のそこかしこで鍛冶の音が
がっちゃんがっちゃん聞こえてたんじゃけどね」

ぼくは、かつての鞆鍛冶の活況を想像してみた。
カンカンと鉄を打つ音と、ふいごの立てる
火の熱気で、ずいぶんと賑々しかったに違いない。
寺町通りのおばちゃんは、少し寂しそうに言う。

「いろいろ歴史がね、鞆は古いからあるんよ」

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少女時代の顔がふわりと現れた

鞆を愛する人たちの、むかあし昔の鞆語り

ぼくとおばちゃんたちの立ち話は続く。

「おふたりは鞆で育ったの?」

寺町通りのおばちゃんは答える。

「ふたりとも鞆の浦に生まれ育って、
嫁いだのも鞆の浦。わたしたち同級生なの。
鞆小、鞆中ってね、高校だけ違うけどな。
みんな福山に出る。高校がないからね、鞆は。
今、鞆では小学一年生は、もう十人ぐらいしか
いないのかな。とにかくね、わたしたちの時にはね、
一学年が二五〇人から三〇〇人はいた」

平のおばちゃんが続ける。

「戦後の引き上げて来とろうで、
五、六組あったね。子ども多かったの、
そのころは」

「じゃあ、今ではずいぶんと
子どもも減っちゃったんだね」

「うん。もったいないじゃろ、
はええとこなんじゃけどね」

ぼくは、ほんとうにそうだね、
と心から同意する。

「景色はええでしょ?最高でしょ。
わたしら生まれてから、ずうっと鞆にいるけど、
まだ飽きない」

なあ、と頷き合うふたりの目はきらきらと
豊かに輝き始め、そして、
少女時代の顔がふわりと現れた。

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平のおばちゃんむかしの鞆の港語り

非日常の台風の、鞆の少女の楽しみ方

平のおばちゃんは話す。

「子どもの時は、海の色がきれいできれいで。
翡翠色いうんかな、すごいきれいだった。
わたし、平のほうで生まれとるから、昔は漁船がね、
港の中でずらーっと並んどってね。
そこを泳いで船を掻き分けて、
船底をくぐっては次の船と船の間に顔を出して
息継ぎしてな、そして、また潜って……
そういう遊びをしとった」

「鞆の人はみなやっとるね」

と、寺町のおばちゃんも懐かしそうに言う。

「わたしらが育ったころは、帆掛け船でね。
こう帆を二本掛けて、それで夏なんかは風を
受けて出て行くでしょう。港の波止場に座りよって
眺めてると、出航する船が夕陽を受けてさーってね、
きれいじゃったよお。ちょうど、絵本に出てくるようで。
若い人はそんな絵本見たことないわな、帆掛け船の」

ぼくは、その絵本のような情景を頭に思い浮かべながら、
おばちゃんの「物語り」に耳を傾ける。

「台風の時なんか、きれいよお。
子どもだから、風が吹いて嬉しい言うて」

あははと、平のおばちゃんは笑いながら続ける。

「海岸べりにじっと立ってるとね、
水しぶきがばあっと上がって、幻想的でね。
びっしり並ぶ帆掛けの大きな船が、風と波で、
きれいにさーっと円を描いて流れる。
そしたら、また戻って来るいうね」

その非日常の港の美しさが目に浮かぶ。
そして、その光景に見とれるひとりの少女の姿も。

「でね、大きい台風の時、一回、目の前で船が
波にさらわれたことがあった。
漁師がばあっと飛び込んでね、
自分の船を引き戻そうとする」

ぼくは紙芝居に熱中した子どものように、
身を乗り出して語り部に問う。

「それは、ロープかなにかで縛るの?」

「うん。でも、そのロープが切れるんよ。
ばーっていう波と風で切れるんよ。
やっぱり、人間、自分の船が大事じゃけね、
わき目も振らずに飛び込んで、
それで亡くなってしまった」

ぼくは言葉をなくす。
しかし、すぐに平のおばちゃんは、
声を明るくして続ける。

「でも、わたしら子どもには、
台風は深刻な話じゃなかったんよ。
台風の後、浜辺歩きよるでしょ、そしたら、
お金が落ちてる。岸辺を歩きよるとね、
銀貨が流れ着いて落ちとる時があるんよ」

平のおばちゃんは、そう言って、
いたずらっぽく、笑った。

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