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鞆酒造株式会社 岡本純夫さん

三百五十余年 守り継がれる伝統
鞆酒造株式会社 岡本純夫さんの物語り
鞆の町を歩くと、鼻をかすめる芳香
その正体は、鞆の名産品「保命酒」
さあ、万治二年の伝統を味わう旅へ―

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飄々とした作務衣姿

鞆酒造、岡本純夫さんとの出会い

おもしろい人に出会った。

鞆の浦みやげに名物の「保命酒」を買おうと、 太田家住宅のすぐ北にある、
「保命酒屋」に入り込んだ時のことだ。

はね上げられた蔀戸(しとみど)をくぐり、 ひんやりとした店内に
足を踏み入れると、漢方薬を煎じる小さな鍋が湯気を立てていた。
その香りを楽しみながらしばらく店内を眺めていると、
眼鏡をかけた中年の男性が

「どうも。いらっしゃい」

と言いながら奥から現れた。

垂れた眉毛に紺色の作務衣。商売人のイメージとはややかけ離れたこの人が、
「保命酒屋」主人、岡本純夫さんだった。

外見通り、話すこともなんだか飄然としている。観光客の特権を
生かして僕は色々質問をしたけれど、この日一番印象的だったのは、
店内に巣を作っているツバメのために、岡本さんが夜も
蔀戸を一枚開けておく、という話だった。

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瀬戸内に保命酒あり

三百五十年の伝統

飄々とした雰囲気に魅せられて、僕はその後も何度か「保命酒屋」に通い、
岡本さんとの会話に興じた。

鞆の浦の名産品として真っ先に名前の挙がる保命酒。
その発祥は江戸初期、万治二(1959)年に遡る。

鞆の浦に移住した大阪出身の漢方医、中村吉兵衛が、旨酒(味醂酒)に
漢方の生薬を漬け込んで、「十六味地黄保命酒」として販売したのがそのはじまり。

江戸後期には全国的に名声が高まり、諸大名の贈答品や饗応の
酒として用いられるようになった。備後を往来した朝鮮通信使や、
幕末に来航したペリー提督にも供されている。

福山藩から専売品として保護を受け、製法を一子相伝、門外不出としたことで、
製造元の中村家は繁栄を謳歌した。現太田家住宅は元々、
この中村家の屋敷だった。

明治になると専売権を失った中村家は衰退し、保命酒事業は複数の
業者に受け継がれた。時代による顧客層の変化、同業者間の競争に耐えて、
現在醸造を行っているのは四軒。

「保命酒屋」鞆酒造はそのうちの一軒だ。

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気負わぬ洒脱な七代目

岡本さんの素顔

明治十二年からある老舗の七代目と聞いて、思わず

「すごいですね」

と感嘆の声を漏らしたら、岡本さんは

「まあでも保命酒は万治二年から、 三百五十年以上続いてますからね」

とさらりと言ってのけた。

壁に掛かっている古びた看板に帝國醫科大學御用品 とあるのを見て、

「東大に納めていたんですか!」

と尋ねると、

「知り合いがいたんじゃないかな。まあ一種の権威付けですよ」

との冷静な答え。
極めつけは写真を撮らせてもらえないかと 尋ねた時の一言だ。 
岡本さんは笑って許してくれながら、 

「カメラ壊れますよ」

とのたまった。冷静さと客観視。そしてそこから来る羞恥心が、
軽妙なユーモア、飄々とした雰囲気を作り出している。

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裡に秘められた熱い想い

鞆の浦と保命酒の伝統

もっともこうした気負いのなさや飄々とした雰囲気は、奥底に秘められた
自信から来るのではないかと、僕には感じられた。

その証拠に、鞆の浦と保命酒の歴史について語る時、岡本さんの言葉は熱を帯びる。

「客観的に見ても、保命酒は鞆の浦の歴史に重要な位置を占めているんです。
そのことは、現在の観光の中心である常夜燈の北側一帯が、
元々全て中村家の建物で占められていたことからも明らかでしょう」

他の商品を置かず、保命酒一本で商売をしていること。
中村家由来の古いレシピを探索、研究し、とろりと甘い伝統の味にこだわること。
保命酒文化全般に目を向け、昔ながらの焼き物の保命酒徳利を自作までしていること。

これらは全て、岡本さんが裡に秘めた、
保命酒への熱い想いに裏付けられている。

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保命酒のこれから

協同組合の代表理事として。

冷静で客観的な視点と熱い想いを併せ持った岡本さんは、
保命酒の今後も見据えている。

四軒の蔵元で作る、鞆保命酒協同組合の代表理事として、所管官庁との
折衝を行ったり、江戸時代のレシピを復元した新商品を開発し、
保命酒普及のイベントで販売する活動にも関わって来た。

海外展開も視野に入れて、中小企業庁の、ジャパンブランド育成支援事業にも
名乗りを上げ、採択されている。

「私は少し高級で伝統に忠実なものを、作りたいと思っているけれど、
もちろん顧客を広げて行くことも大事。 様々な需要に応じて各蔵が
多様な商品を工夫して、全体として保命酒を盛り立てて行ければ
いいんじゃないかな」 

岡本さんはこんな風に語った。

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伝統と革新

自然体がもたらすもの

話題が保命酒の飲み方になった時のことだ。岡本さんはまずこんな風に言った。

「江戸時代の伝統的な飲み方は、備前焼の徳利からほんの少し注いで大切に。
漢方薬の入った高価で貴重な物ですから、がぶがぶ飲むものではなかった。
今はまあ、お湯割りとか炭酸で割ったりとか」

それからにやっと笑った。

「私は牛乳で割ります」

「牛乳?」

驚きを隠せない僕に向かってごく当たり前のように続ける。

「牛乳で割ってレンジで温めて。カルーアミルクみたいにね
飲んでみますか?」

温かく甘い保命酒ミルクは確かに美味しかった。ほのかな薬草の香りを楽しみながら、
この味にこそ、岡本さんの人間性が表れているのだと、僕は密かに納得した。

気負わず、こだわらず、作務衣姿で飄々と我が道を行く。
それによって伝統と革新の自然な結合を成し遂げて行く。
鞆酒造株式会社代表取締役、岡本純夫さんは、そんな人物である。

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